週末になって、蓮のお父さんが東京に来る日がやってきた。
夕方、仕事が一段落してから会うというから、あたしも会社が終わってからで間に合う。
蓮1人でいきなり会っても、なかなか分かってもらえないだろうし。
「んじゃ、6時に池袋な。場所分かる?」
駅からすぐの喫茶店は、分かりやすい場所にあった。
「うん。少し早めに着くようにするから」
「すまないねぇ」
おどけて言う蓮は、いつもと変わらないように見える。
けど、事の真相が蓮とその家族に関わっているというのは疑いようがなくなっていて
――その焦燥感は伝わってきていた。
「……大丈夫?」
「あ? 何が」
「……ううん。じゃ、いってきます」
「ほい。いってらっしゃい」
明るく言って手を振る。――蓮の、本当の笑顔に会えるのはいつだろうと
あたしはそんな事を考えながら出勤した。
木製の重いドアに付けられたカウベルが音を立てて、ダークグレーのスーツを着た男の人が入ってきた。
向かいの席に座った蓮が、そちらに目を向けてあたしに合図を送る。
人待ち顔に店内を見回すその人に、あたしはゆっくり近づいていった。
「――桐谷さん、ですか」
「……そうですが……あなたは?」
「川原と申します。あの――蓮さんの――友人、なんですが」
「――はあ、そうですか」
言いながら、まだキョロキョロと蓮を捜している。
「えー、あの、ですね……」
「あ! ……息子があなたに何かしましたか?」
「は?」
困った顔で成り行きを見ていた蓮が、ものすごくイヤそうな顔をした。
……何か前科でもあると見たな。
「そういうわけじゃないんですけど……えー、とにかくこちらにどうぞ」
あたしはそう言って、蓮の待つ席へと彼をひっぱっていった。
「どうぞ、かけて下さい」
知らない女――に見える蓮――がいる席に着くように言われ、不審な顔であたしを見上げる。
……この人、あたしより少し背が低いのよね。
「えー……、と?」
「とにかく、座れって」
しびれを切らしたように言う蓮にびっくりした顔を向けて、ぎこちなく向かいの席に座る。
あたしは蓮の隣に腰を下ろした。
「……で、どちら様で」
「まあ、いきなり信じろってのも無理だと思うけど、俺ですよ。蓮だよ」
「は?」
口を開けっぱなしのお父さんの前に、ウエイトレスが水を運んで来る。
「あー……じゃあ、ブレンドを」
一応注文するあたり、さすが営業の人というかなんというか。
途方に暮れてあたしと蓮を見比べていたお父さんの顔が、だんだんと青ざめていった。
「まさか……母さんに会ったのか?」
「はあ?」
今度はあたしと蓮だ。またハモった。
「どういうこと。お袋、生きてんの」
「いや、まあ……そうか、おまえほんとに蓮なんだな」
「だからそう言ってんじゃん。何だよ、お袋になんか会ってないけど、何か関係あんの?
やっぱ――じいさんが何かしたのか」
「まあ、待て。とりあえず、どうしてそちらのお嬢さんと同じ姿になったのか、
それから説明してくれないか」
あたしと蓮は、代わる代わるあの日に起こった事を話し始めた。
話の合間に運ばれてきたコーヒーに口も付けずに、
お父さんの顔はますます青くなってきて、あたしは心配になった。
「……俺はこの通り、元気なんだけどさ」
あまりにショックを受けているようなのを見かねた蓮がそう言うと、
テーブルの上のコーヒーに目を落としたまま大きく息をついた。
「――そうか。……それで帰って来なかったんだな」
「……まあ、な」
しばらくの沈黙。
手に取ったカップの中に今聞いた話が要約されていて、それを飲み込めば
全て理解できるとでも思っているように、彼はゆっくりとコーヒーを飲んだ。
「何から話せばいいのか……まさかおまえに話す日が来るとは思ってなかったからなぁ」
悟ったようにのんびりと言うお父さんに、蓮がイライラと足を踏み鳴らす。
「来ちまったもんはしょうがねぇだろ。分かってることがあるなら説明してくれよ」
カップを受け皿に戻したお父さんが、顔を上げる。
その悲しげで、どこか強い瞳の色に、あたしは蓮と似た部分を見つけたような気がした。
「おまえのお母さんは――この世界の人じゃないんだ」
「……何だって?」
「言ってみれば、パラレルワールドってやつかな。――違う次元の世界から来たんだよ」
それがどこにあるのか、何次元なのか――SF的なことは全然分からないけれど、
それは確かに存在して、その空間と今ある世界とがある時つながった――ということらしい。
30年近く前に起こったそれは、向こうの世界にいた蓮のお母さんをこっちに呼び込んだ。
ひとつの問題を抱えていたんだ――その、お母さんのいた世界は。
身体的な特徴のせいで、人口が増えない。
結果、老人が数人と、その世界の長の娘であるお母さんだけになってしまった。
このままでは、この世界に住む人間はいなくなってしまう。
――後継者を得るために彼らは閉ざされた扉を開いた。
はるか昔に封印した、この世界へつながる扉を。
そして彼女は、その扉が通じた場所にいた男に助けられた。
彼女の話を信じ、興味を持った男は、当時10歳の彼女を養女にする。
大きな病院の院長として上の方ともつながりがあった彼には、戸籍を操作するなどわけのないことだった。
彼女が18歳になった頃、医療機器メーカーの営業マンである蓮のお父さんと知り合うことになる。
2人はやがて結婚し、蓮が生まれる――その、身体的な特徴を受け継いで。
「……それが、この血か」
「そういうことになるな。お母さんのいた世界の女性はRh−の血を持っていた。
そのために不適合を起こし――生まれた子供は、なかなか育たなかったんだ」
不適合――由利江の話をした時に、聞いた覚えがある。
結婚したら、子供を産む時には気を付けなさいと、母が言っていた。
母親がRh−の血を持っていると、Rh+の子供を産む際に
不適合と呼ばれる拒否反応を起こすことがある。
もちろんこの世界の医療なら、適切な処置をしてほとんど問題なく生まれるものらしいけど
――向こうではそんな知識はなかったということか。
また、その世界の環境に合わないのか、Rh+の人間はあまり長く生きられなかった。
「じゃあ俺は――向こうの世界のために生まれてきたってわけか」
「……そのはずだった。初めは。お母さんは、おまえを産んだらすぐに
おまえを連れて帰るつもりだった。――けど、できなかった。どうしても」
夫と、小さな息子と、3人の生活。
穏やかな幸せを手放すことも、何も知らない息子を犠牲にすることも、できなかった。
同じ頃に生まれた3人のRh−の子供――後継者候補達のことも、向こうの世界に報告はしてあった。
けれどお母さんは、こっちの世界を選んだ。
「最初はおまえを入れて3人――あの病院で生まれた子達だけのはずだった。
けれど、それでは女性が1人足りないということで、森田さんの娘さんに白羽の矢が立ったんだ」
「……合コンじゃねぇんだからよ」
血の気のない顔で言う蓮の冗談に、笑う気にもなれない。
「おまえが8歳の時に、おじいさんが――お母さんを養女にした中林先生が亡くなった。
向こうの世界から守ってくれていた存在が消えて、お母さんは戻らざるを得なくなった。
きっと、向こうの人達を説得して戻ってくるからと言って、
おまえに渡したペンダントと、もうひとつ、ブローチを置いて」
蓮がTシャツの上から胸元を押さえるしぐさをした。
その瞳は、無表情と言ってもいいくらいに色がない。
「お守りって――どういうことだ」
「つまり……いわゆる結界が張られるらしい。その石の力が、向こうの世界の何かと
反発するようなんだ。その石はおじいさんの遺品の中から見つかった」
「あの朝……俺はペンダントをつけていなかった。それであんなことが起きたのか」
「それと、おまえにはやっぱりお母さんの血が流れてる。
こちらのお嬢さんの所とつながったわけは分からないが――何かの
はずみというか、妹さんのこともあるのかも知れない」
「分かった」
疲れたように息をついて、蓮が椅子の背もたれによりかかる。
「分かんねぇけど、分かった。とにかく、俺が行くしかねぇだろ」
「行くって……」
あたしは自分がそう言ったつもりだった。けど、聞こえてきたのは蓮のお父さんの声だった。
どこに行くの。その世界にあなたは入れるの。無事に、帰ってくる保障はあるの。
言いたい言葉は声にならない。
そのあたしの方を見ずに、蓮は言った。
静かで、強い声だった。
「俺が行く。その入り口を見つけて――見当はついてるけど――向こうの世界から
3人とも連れて帰る。できれば、お袋も」
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