思いつめた顔で歩く蓮のお母さんの後を、黙ってついていった。
どのくらい歩くのだろう。
さっきのように倒れてしまったら、あたしはどうなるのだろう。
ふと、隣を歩く蓮と目が合った。
何か言おうかと口を開きかけた時に、お母さんが足を止める。
「――さて」
ひとつ息をついて、あたしと蓮を振り返る。
「ほんとに行く気?」
「何度も訊くなよ」
「この先はほんとに『違う』わよ。――瞳子さんと仰ったかしら。大丈夫? 気分は悪くない?」
今のところはなんともなかった。それに、このまま引き返す気にはなれない。
大きく頷くあたしに、蓮が右手を出した。
「アレ、よこせ」
「……アレ?」
「ペンダント。何か知らんけど、こことは反発すんだろ? おまえが持ってると、余計に危ないかも知れない」
「それじゃ、蓮だって――」
「俺は大丈夫。……多分な。そうだろ」
そう言って、お母さんの方を向く。
「……分かってるみたいね」
「まあな」
「――何のこと?」
あたし1人が全然分からなかった。――いや、分かりたくなかった。
胸が締め付けられるように、鼓動が早まる。
「つまりさ」
深く息を吐いて、蓮が顔を上げる。
「俺は結局、こっちの人間ってことだよ」
「……何……それ……」
ちゃんと言うから。迎えに来るから。
蓮の声が耳にこだまする。
何故か本当の――あたしの姿になる前の、蓮の声で。
言葉を探して動けないあたしの首に手を伸ばした蓮が、髪をかき上げるようにして金具を探り当て、
青い石のついたペンダントを外した。
不思議と、重かった頭が少し楽になる。
途端に、目の前を覆っていた木々がざわっと動いた気がした。
そこには――あの日、鏡の表面にあったような虹彩が蠢いている。
まるで、あたし達を手招きするかのように。
「――俺が、カギってことか」
「ひとつの、ね」
悲しい――ひどく疲れた顔をして、蓮のお母さんが呟く。
12年の歳月が、一気に彼女の中を駆け抜けて行ったように見えた。
「……瞳子。大丈夫か?」
「うん」
大丈夫。そう答えるより他にない。
「キツかったら言えよ。でも――できれば一緒に来てほしい。
あいつらを、無事にここから連れて帰ってほしい」
「蓮……」
蓮は? 一緒に帰るのよね? ――約束、したよね?
叫びたかった。
蓮の胸に縋り付いて、確かめたかった。
そのあたしの右手を、蓮が黙って握る。
「行くぞ」
真っ直ぐに前を向いて歩き出す。それきり、振り返らずに。
ぐわん、と、頭の中をかき回されるような不快な感じがして、
あたしは蓮の腕にしがみついたまま、きつく目を閉じた。
やがて足を止めた蓮につられて立ち止まり、ゆっくりと目を開ける。
白い建物の中に、あたし達はいた。
窓はないけれど、目が痛くなるほどに明るい光に満ちている。
でも、その光はとても人工的に思えた。――病院の、手術室みたいだ。
目が慣れてくると、1人の人が立っているのに気付いた。
一見、普通の老人のように見える。
「蓮、といったね」
その男が口を開いた。
静かで、よく響く声だった。
「――ああ」
無表情に返事をする蓮を、お母さんが心配そうに見上げる。
「よく、戻った」
「戻ったつもりはねぇけどな。――とにかく、あの3人を帰してくれ。話はそれからだ」
「そういうわけには、いかないんだよ」
彼が目を向けた先には――寝台に横たわる人がいた。
薄いカーテンの向こうで、生きているのかどうかも分からない。
そして、その寝台のまわりの椅子に座る3人の人影――。
「由利江!」
あたしはその顔を見た途端、金縛りが解けたような気がした。
目を閉じて動かない妹に向かって駆け出そうとしたあたしの腕を、蓮が引き戻す。
その男が、銃に似た武器をこちらに向けて構えたから。
「……どういうことだ」
「彼らは、長く『向こう』で暮らし過ぎた。
こちらの世界に慣れさせるため――そして長を復活させるために、融合を図っている」
「何だと……」
蓮が奥歯を噛む気配がした。
後ろからあたしの両肩を支える手に力がこもる。
「それですべてうまくいくのだ。新しい4人の後継者を無事にこの世界に融合させ、
この地の未来が確かなものになるまで――長を死なせるわけにはいかない」
「……何様だ、てめぇ。――こいつらにはこいつらの世界がある。
それを壊す権利は誰にもないんだよ! 長だろうがなんだろうがな!」
「貴重な後継者だ。ここに適した血を持ち、おまえと共にこの世界を作るに相応しい」
「そんなもの、Rh−だからってだけで決めんのかよ!」
「いや、そうではない。この3人はおまえと同じ頃に、同じ場所に関係して産まれた。
――選ばれた人間なのだよ。最初から決まっていた」
「何だよそれ。それこそ詭弁だろ! こいつらも俺も、自分の人生生きるために生まれてきてんだ!」
「――それは、この世界でこそできることだ」
「向こうじゃできないってのかよ」
「……そういうことになる。少なくとも、おまえの存在は向こうにとってマイナスのはずだ」
あたしの肩を支えていた蓮の手から力が抜けた。
見る間にその顔が青ざめて、唇が震えだす。
「……蓮……? ……蓮、大丈夫?」
「思い出したようだな。おまえが今までどう生きてきたか」
「――やめろ――」
「おまえには『友達』も『恋人』もできなかったはずだ。
最初は親しくしていた者達も、次第におまえから距離を置いていった。
――20年生きて、その手には何が残った」
「……そりゃ、俺が単に人付き合いがヘタだってことじゃねぇの」
口先だけで、蓮が呟く。
まるで、本当はそんなことなど少しも信じていない話し方だった。
「そうではない。それはすべて、おまえがここへ帰ってくるべき存在だということだ。
向こうの世界では、おまえは孤立するしかない――」
「やめ……」
「やめて!」
言いかけたあたしの声を、蓮のお母さんが遮った。
「これ以上、この子を傷つけるのはやめて下さい! ……もう……もう、いいでしょう!?」
「本当のことを言っているまでだ。蓮は、ここで生きていくべきだと。
そのために、この3人を選んで見守ってきた。やっと、先へ進む時が来たのだ」
老人の声に、お母さんがかぶりを振る。
震える手を握り締めて、固く目を閉じて。
「――どうしても、決心がつかなかった。私の育った場所。私を育ててくれた父。
それを壊すことが――怖かった。でも、私は、この子が傷つくことのほうが、
あの人のいる世界で悲しむ人がいる方が、もっとつらい!」
「何を――」
「蓮、そのペンダントを父に渡して。それで――それですべて終わる」
「やめろ! 何を馬鹿なことを――」
老人が言い終わらないうちに、蓮があたしを抱え上げた。
寝台とは反対側の壁に向かって駆け出す。
老人が武器を構え直すのを見て、壁を蹴って飛び上がった。
蓮はあたしを抱えたまま、老人を飛び越してカーテンの向こうに飛び込む。
「……な……なんでこんなことできんの」
「知らねぇ。向こうじゃできなかったろうな。これのせいだろ」
言いながら取り出したペンダントを掲げ、寝台に横たわった人の手に触れた。
その瞬間、青い光が部屋を満たす。
追い縋ろうとした老人は、そのまま床に座り込んだ。
椅子に座らされた3人がゆっくりと目を開ける。――けれどその瞳は、どこか遠くを見ていた。
「由利江、由利江! 分かる? あたしよ!」
「……お……ねえ……ちゃん? ……どうして……」
「大丈夫、すぐに帰れるから、しっかりして!」
視界の端で、寝台の上の人が身動きするのが見えた。
「……蓮……か……」
「ああ。悪いな、じいさん。あんたの孫は、確かに向こうにとっちゃマイナスかも知れない。
でも、こっちじゃもっとでっかいマイナスなんだよ」
蓮の言葉に、静かに微笑む。蓮のお母さんに似た、優しい笑みだった。
「……もう……いいんだ。もっと早く……こうなるべきだった」
「……ごめん、じいさん、お袋。俺はやっぱりこっちでプラスになることはできない」
おじいさんが静かに目を閉じて、首を横に振る。
枯れ枝のような右手を伸ばし、蓮の持つペンダントを握った。
青い光が強さを増す。きぃん、と頭に耳鳴りのような音が響いた。
「瞳子! 行け! 出口はあっちだ!」
蓮が視線を向けた方に、白い光が見えていた。
ようやくフラフラと歩けるようになった3人を、そちらへ促す。
「蓮! 早く!」
かすかに笑みを浮かべて目を閉じたおじいさんと、床に座り込んだままの老人に目を向け、
「……ごめん」
と呟くと、ペンダントを持った手を離して走り出す。
2人で由利江達3人を抱えるようにして白い光に飛び込んだ。
――そして、あたし達はまた暗い森に転がり込んでいた。
SEO | [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送 | ||