彼女がコピーした書類を半分受け持って整理し、ファイルに綴じていく。
その間、隣に座った恵美の右半身がこわばっているのが伝わってきていた。
――そんなに警戒しなくたっていいじゃないかよ。
ちょっとからかってみると、ムキになって言い返してくる。
そうかと思えば、疑問に思ったことはストレートに訊いてくる。
その素直な笑顔に、救われていたんだと思う。麻子も――俺も。
もう少し話がしたい。同じ時間を過ごしてみたい。
俺は、仕事の手伝いを理由にして会社に顔を出し、麻子より先に帰る恵美を送っていくようになった。
最初の緊張がとけて俺に会ってもイヤな顔をしなくなった頃、歓迎会と称して食事に行った。
――ワインの1杯くらい大丈夫だと思ったんだけどな。
意識も口調もしっかりしていたけれど、すっかり足に来てしまっている恵美をうちに泊めることにして、
ずっと支えていた腕を離して自分の部屋に入る。
「あ、リュウ」
呼び止める麻子に軽く手を振って、ドアを閉めた。
……しばらくは出られねーな。
これで万が一、風呂上りの恵美とすれ違ったりしてみろ、速攻お持込みだ。
どこまで本気か分からない自分の中の声に苦笑しながら、一応机に向かってみる。
――集中できるはずはないんだけどな。
もういい加減寝ただろうと思う頃、部屋を出て風呂に入り、何か飲もうかとリビングのドアを開ける。
麻子が1人で、ソファに座って雑誌を読んでいた。
とりあえず、この前恵美が言っていた話をしてみることにする。
仕事で無理をしているんじゃないかと、心配していたから。
「俺が言ったって言うなよ」
思わず余計なことを言ってしまった俺に、麻子はくすくす笑っていた。
なんだか妙に照れくさくなって席を立とうとした時、突然言われた。
「前に言ってたあれ、冗談よね?」
どうして今さら、そんなことを訊くんだろうと思った。でも、麻子の瞳の色で、すぐに分かった。
……恵美が好きなんでしょ?
そういうわけか。
まるで考えなかったわけじゃない。血のつながらない兄妹としてじゃなく、別の形で出会っていたら。
麻子が高木さんに出会わず、俺が恵美に出会っていなければ。
俺達は、どうなっていたんだろうと――。
くだらない仮説だ。
麻子は恵美を大事に思っている。だからこそ、俺にその気持ちを確かめるようなことを訊くんだろう。
「――本気だって言ったら、どうする」
少し意地悪をしたくなって、言ってみた。
けれども軽くかわされて、俺は敗北を宣言する。
「……冗談に決まってんだろ」
ヤケ気味に言った台詞に、麻子がまた笑い出す。
――ああそうだよ。おまえの言うとおり、俺は恵美に惚れてるよ。
俺はこれ以上からかわれないうちにリビングから逃げ出すことにした。
「恵美の寝込み、襲ってきたら?」
まだ言うか。
――いいんですか? ほんとにやるぞ、コラ。
できないのが分かってて言うんだよな。
「――くだらねぇ」
ため息混じりにそう返して部屋を出た。
廊下に出た俺は、ふと、2階へ続く階段を見上げる。
恵美の気配を、微かに感じたような気がした。
なんかしくじったかなぁ、とは思う。
でもこれと言って、怒らせるようなことをした覚えはない――多分。
最近、恵美の様子がおかしい。
学校にもちゃんと来ているし、仕事もきちんとこなしている。
体調が悪いわけでもなさそうだ。
それでも、麻子とすら少し距離を置いている感じで――俺に至っては、全然顔を合わせようとしなかった。
やり始めたからには責任を持とうと思っていた生徒会と部活だが、いい加減俺に時間を返してほしくなった。
絶対俺は社長になんかならない。これ以上、『長』のつく仕事なんてやってられっか。
イライラと放課後を待った俺は2年生の教室前で麻子をつかまえ、
恵美が今日は部活もバイトもないということ、どこへも寄らずに帰るつもりのようだということを聞き出した。
咄嗟に、今日はたいして生徒会の議題もなく、部活での問題もないことを計算し、正門に先回りする。
――しばらくして何か考え込んだ様子の恵美が通りかかる。
俺に気付いて、一瞬びっくりした顔をしたものの、そのまま通り過ぎた。
……シカトですかい。
人がこんなに心配してんのに、その態度はなんなんだよ。
いつもなら、他のヤツなら、放っておく。
こんなふうに追いかけて、つかまえて、問い詰めるような自分じゃない。
それでも、不機嫌の理由を答えないままごまかして、俺の腕をほどいて歩き始めた恵美に、かっとなった。
力まかせに腕を引き寄せ、よろけた体を受け止めて、そのまま抱きしめる。
頭の中で、2つの声が叫ぶ。
――こんな乱暴なやり方をするな。余計嫌われるだけじゃないか。
……しょうがない。もう、どうしようもない。おまえが、好きなんだ――。
小さく震える肩を引き離し、想いを伝えようと口を開いて凍りつく。
「隆太郎は、麻子が好きなのに!」
――知ってたのか。俺と麻子の血がつながらないことを。
中途半端な、俺の気持ちを。
力を緩めた手を振り払うように身を翻して、恵美が駆け出した。
追い駆けようと足を踏み出して、地面に落ちた恵美の鞄に気付く。
――言い訳をするなら、最初から全部時間をかけて説明しないとならない。
俺は鞄を拾い上げると、ため息をついてゆっくりと歩き出した。
結局、その日は何の説明もできなかった。
少し駅前でブラブラしたあとで電車に乗り、恵美の家に近い駅に着いた時、雨が降っているのに気付いた。
――あいつ、傘持ってたっけか。
急に心配になり、家への道とバス停とを見比べ、近くのコンビニで傘を買ってバスを待つ。
自分が濡れるのはいいけど、恵美の鞄を濡らしたくなかった。
いつも送っては行くけど、家の人と顔を合わせたことはない。
だから少なからず緊張しながらインターホンを押した俺に、明るい声が応えた。
……恵美に似てる。
当たり前だけど、恵美とお袋さんの声も顔も、よく似ているのに笑い出しそうになった。
名前を名乗って、学校が一緒だということを言って、鞄を届けに来たことを話す。
「あらやだ、あの子ったら。――ちょっと待って下さいね」
「あ、いや、すぐ帰りますんで……」
人の話を最後まで聞かないところまで似ている。
困った顔で降りて来て、頭が痛いと言っているらしいのを聞いて、鞄を預けて辞去する。
――風邪ひかないといいけどな。
と、思ったらやっぱりひいたらしい。その後3日、恵美は学校を休んでいた。
次に会ったらどんな顔をすればいいのか。何から話せばいいのか。どこで声をかければいいのか。
グルグル考え過ぎて疲れてしまい、放課後の定位置である生徒会室でぼんやりと外を眺めていた。
半分開いたドアの隙間から顔を覗かせた恵美に、不思議と安堵する。
何か言いかけて考え込むのを見て、部屋に入るように促した。
……話し出す前、麻子の顔が浮かんだ。
勝手に全部話したら、怒るだろうか。
俺の恵美に対する気持ちも、はっきりと言ったわけじゃない。
でも、とその時思った。
分かってくれるよな。俺とおまえにとっての恵美になら、話すべきだってことをさ――。
話が終わると、やっと誤解のとけたらしい恵美と目が合う。
――な? だから、俺が好きなのはおまえなんだよ。
自然と笑いかけた俺に、恵美が微笑み返してくれる。
戸惑う瞳を押し切るように、少し強引に口付けた。
腕の中で、こわばっていた体から少しづつ力が抜ける。
嫌がらずに受け止めてもらえたことに、抱きしめた温もりに、合わせた唇に、のめり込んでいく。
――いかん。いくらなんでもこの辺で止めとかないとまずいだろ。
自分に言い聞かせてそっと体を離すと、放心したような恵美の瞳がだんだんと焦点を合わせていった。
はた、と気付いたように俺を見上げ、途端に真っ赤になってうつむく。
……今時、中学生でもこの反応はないんじゃないだろうか。
まあ、いいんだけどさ。
突然こみ上げてきた可笑しさと愛おしさに、笑いながら抱きしめる。
「な、なんで笑うのよ……」
「……いや、おまえ、ほんとに……」
可愛い。などと言ってしまったら、ますます慌てさせてしまうだろう。
そうしてみたい気もしたが、俺はもう一度軽く恵美の前髪に唇を当てて
「なんでもない」
と言った。
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