2人の好みを検討した結果、ファンタジーの入った冒険物の洋画になった。
俺が観たいのはサスペンスタッチのホラーで、恵美はベタベタのラブストーリー……
かと思ったら、ディズニーのアニメがいいと言う。
勘弁してくれよ、と言った俺に、じゃあこれは? と提案した案が可決された。
思ったより楽しめて、初めて2人きりで食事をして、家まで送って。
まあ当たり前だけど、帰り際の玄関前での軽いキスにとどめて、少なからず浮かれて帰宅する。
家の鍵が開いているのに気付き、麻子がもう帰っているのかと思い、
タタキに脱ぎ捨てられた薄汚れたデカイ靴を見つけて、俺のまわりの緩みきっていた空気が引き締まる。
――親父のヤツ。
玄関の物音にはとっくに気付いていたはずなのに、ずいぶん経ってからリビングのドアが開いた。
「……おかえり」
「――ああ」
気まずそうに俺を見上げる親父を軽く睨んで、そのまま部屋に入ろうとする。
「あー……おい、隆太郎」
「ちょっと待て。着替えてくっから」
恵美と一緒にいた時の空気をまとわりつかせたまま、話す気にはなれなかった。
Tシャツとスウェットパンツに着替えて廊下に出た時、玄関のドアが開いた。
「リュウ、帰ってたの。ご飯は――」
麻子が、俺が着替えてる間忠犬よろしく廊下に立って待っていた親父に気付く。
「お義父さん……おかえりなさい」
どうしてそうおまえは、そこで笑えるんだよ。
「あ、うん。ただいま」
このマヌケ親父も、ヘラっと笑い返しやがる。
「良かった。元気そうで。どこに行ってたの? ……心配したのよ」
「俺は全然」
「またそういうこと言う……リュウは、ご飯食べたのよね? お義父さんは?」
「ああ、うん。済ませてきた。……麻子は?」
「あたしも会社で食べたから……」
そこまで言った時、親父の目が見開かれた。
「……麻子が、会社に行ってるのか?」
「とにかく、座って話そう。俺も今帰って来たとこだし」
リビングに入って聞いた話によると、親父は博多へ行っていたらしい。
――義母の、故郷だ。
結局そっちの親類には、亡くなった話は伝えたものの、誰も葬式に来なかった。
麻子の祖父母にあたる人達はもう亡くなっていて――それきり、そっちとの連絡は途絶えている。
「……博多で何してたんだよ」
「まあ、美沙絵の育ったところを歩いたり、2人で回ったところに行ったり……」
結婚を決めた時に、親父と義母は一度2人で博多へ行った。
一応親類に顔を見せるつもりでいたらしいが、誰も会おうとしてくれなかったそうだ。
ていのいい新婚旅行じゃねぇか、と言った俺に、バカモン、挨拶に行ったんだ、とムキになって言い返した。
……思い出に浸りに行ったところを見ると、当時は結局楽しんで来たってわけね。
「んで? 気は済んだのかよ」
「……おまえそんな、冷たい言い方しなくたっていいだろう」
「暖かく迎えられる立場か? 仕事放り出して、未成年の息子と娘に押し付けて」
「いやそれは……すまない、ほんとに」
「ま、押し付けられたのは娘だけだけどな」
そう言って麻子のほうを振り返ると、困ったように笑った。
「リュウは忙しいし……あまり役に立てなかったけど、やりたかったから」
「……すまない。迷惑をかけた」
殊勝に頭を下げる親父の、薄くなった後頭部のひとつでも叩いてやろうかと思ったけど、やめておく。
「でも良かった。これで安心ね」
「……もう出てかねぇだろうな」
ドスの効いた声で脅した俺に、親父が繰り返し頷く。
「とにかく、仕事してたのは麻子だからな。謝るのも、仕事のこと訊くのも、麻子にしろよ」
「そうだよなぁ。おまえはやりたくなかったんだもんなぁ」
しみじみと頷いた親父に、俺はヘッドロックを噛ませた。
「それが、分かってんなら、いい年して、ガキみてぇなこと、やってんじゃ、ねぇよ!」
「わ、分かった、悪かった。って言うか、痛い。本気で、痛いって」
「って言うかじゃねぇよ、このクソ親父! 麻子に謝れってんだ!」
俺が漸く腕を離すと、親父は肩で息をしながらもう一度頭を下げた。
「悪かった。もうしない。麻子、ごめん」
「……ううん。あたしはやりたいことやっただけ。そんなにお母さんのこと想ってくれて、嬉しい」
そう言って、ふわり、と笑った。
その笑顔に、いつも騙されちまうんだ。
――本当は、傷付いていたとしても。
3ヶ月も黙って会社を空けて、定時に出社したらさすがに立場がない。
立場なんてもんはとっくにどっか行ってると思うんだが、親父はそう言って早朝出勤した。ようだ。
俺が朝起きると、すでに誰もいなかった。
麻子もいない。
いつもなら、先に起きて2人分(親父がいれば3人分)の朝食を用意してくれている。
俺がクラブの朝練に出る時にも起きてくれるので、さすがにそれは止めた。
弁当を作ってくれたりもしたが、学食で食べるからいいと断った。
――今思えば、麻子に甘えてほしいと思うなら、こっちももっと甘えて良かったのかも知れない。
壁を作っていたのは、俺のほうだったのかも知れない。
主のいない麻子の部屋で、小さめのボストンバッグがひとつ消えているのに気付いて、そう思った。
俺は自分の部屋にとって返すと、去年の卒業生を送り出す時に一冊ガメてきた
職員名簿を取り出し、高木さんの自宅に電話をかけた。
――案の定、留守だ。
携帯の番号なんて知らないし――と思って、駄目もとで麻子の携帯にかける。
……出るわけねーよな。
次に学校に電話をかけ、自分と麻子が家の用事で欠席する旨を話し、高木さんがいるか確認する。
親戚に不幸があって、休みだそうだ。
あの野郎、何が不幸だ。2人でどこへ行きやがった。
しばらく、迷った。
麻子にとってそのほうが幸せなら、高木さんと暮らすほうがいいのだろうか。
俺や親父に遠慮して、仕事の手伝いまでして、麻子は幸せなんだろうか。
――あの社長室で、仕事をしている麻子の姿が浮かんだ。
恵美と2人で協力して。神崎さん達と相談して、一所懸命だった。
3人分の食事を作る麻子。登校前に洗濯物を干す麻子。
リビングで、くだらない話に笑い転げる麻子。
たとえそれが、必死に作り上げた虚像だとしても、すべてが不幸だったとは思えない。
――俺の、義妹だ。
家族だ。この先麻子がどんな道を選んでも、それは変わらない。
時間をかけていられない。
迎えに行くのが遅くなればなるほど、麻子はうちから距離を置いてしまう。
……恵美に協力を頼むしかないな。
麻子の行動範囲や親しい友達には、恵美のほうが詳しい。
第一、俺1人で迎えに行くよりずっと、素直に話を聞きそうだ。
見栄もある。麻子は恵美の前では『しっかりもの』でいたいんだから。
数秒で決断し、恵美の携帯に電話する。――出ねーよ。どいつもこいつもよー。
壁の時計を見上げた俺は、そろそろHRが始まる時間なのに気付く。
深く考える前に家を飛び出し、学校へ向かった。
高台から見下ろす横浜の海は、初夏の陽射しを浴びて星屑をばら撒いたように光っていた。
チラチラと反射する光に目を細めて、俺はしばらくの間そこに立って海を見ていた。
気遣わしげに見上げる恵美の視線に気付く。
安心させるように笑って肩を抱くと、小さく笑い返して同じように海を見た。
義母が眠る霊園。
亡くなった時、どこの墓に入れるかで悩んだ。
たとえ今は誰とも付き合いがないとは言え、博多に帰さなくていいのかと。
麻子が小さい頃に亡くなった麻子の親父さんは、この霊園の中の別の墓に眠っている。
散々どうするか迷った親父が、ここに新しく木元の墓を買って、義母を眠らせた。
結局義母は、新旧2人の夫と同じ霊園にいることになる。……いずれは俺も。
――麻子は、ここにいた。
高木さんと2人、答えを出すためにここで義母と話をしに来ていた。
俺と親父にとって麻子は家族で、必要だということ、何も遠慮はいらないことを話した。つもりだ。
言いたいことの内、どのくらいが正しく伝わったのか分からない。
……恵美を連れて来たのは正解だった。
麻子にとっての『右側の天使』。
なるほど。そういうものかと納得した。――俺は少し違うけれど。
高木さんだって、それは分かっているはずだ。
俺達は天使じゃない。
『善』の声ばかりに応えていられるわけがない。
思うように歩いて行ければ、こんな簡単なことはないんだ。
『悪』からの声を聞いてしまうような時だって、人間にはある。
『善』に導いてくれるものが、いつでも必ずそうであるとは限らない。
何が正しいのか、どうすればいいのか、迷って、悩んで、道を選ぶ。
時には、左側からの声に応えて。
――俺にとって、恵美にとって、互いが右側の天使でいられるってものでもないんだ。
「……行くか」
「……うん……いいの?」
「ん? 何が」
「麻子。一緒に帰らなくて」
「……ああ。大丈夫。きっと帰って来る。そうでなくても……あいつはもう、分かってるから」
そう言った俺を、少し寂しそうな瞳で見上げて微笑う。
……またこいつは。
「おまえ、俺と麻子の間には入れないとか思ってんだろ」
「……えっ……? な、なんで?」
「それは、なんでそう思うの、か、なんで分かるの、か?」
「……」
黙ってふくれる恵美の頭を抱き寄せ、脳みそに直接言い聞かせるように口を付ける。
「確かに俺にとって麻子は特別。家族だから。
で、おまえは別の意味で特別。だから何考えてんだかすぐ分かる」
抱えていた頭を離すと、複雑な顔で考え込んでいる。
「……どう特別なの?」
「それを訊くか?」
「だって、一度も言ってもらってないもん」
「あー、そうだっけ? まあそのうちに。――それでなくてもおまえの考えてることは分かりやすいけどな」
「……単純だって言いたいのね?」
「おお、分かってきたじゃん」
ケリを繰り出す恵美を笑ってよけながら坂道を下り始める。
「行こうぜ。せっかくここまで来たんだし、中華街でメシ食ってこう」
「……中華街行くなら、小物見たい」
「はいはい。付き合ってやるから、ほら」
左手を差し出すと、口を尖らせた顔のまま右手をつないだ。
木々の間から覗く光が、恵美の横顔に弾けていた。
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