3合炊いたご飯が空になり、あたしが半ば呆れながら洗い物をしている間に、
蓮は床に大の字になって寝息を立てていた。
「蓮……蓮、あたしお風呂入ってくるからね」
「……ん……」
ダメだ。
仕方なく床に布団を敷き、蓮の体を転がそうと押してみる。
無理。
当たり前か。あたしより10cm近く高い背。厚みのある肩。広い胸。
腕も足も長いし、手も大きい。
そうか、本当に男の人だったんだ。
前に会った時は一瞬で、その時はあたしも蓮の姿になっていたから――思い出したくないけど――
今さらながら、蓮が自分と違うのが不思議な感じがする。
あたしは息を吐いて蓮に毛布をかけ、お風呂に入るために立ち上がった。
洗った髪を乾かしていると、コンディショナーも使わずにタオル1枚で出てきた蓮を思い出す。
――そう言えば、蓮は、あたしの体でいたんだ。
1ヶ月ちょっとの間、毎日ここで寝起きして、お風呂も、トイレも――。
やだ、あたし、何で平気だったんだろう。
平気なわけじゃないけど、仕方なかったけど。
本当に今さら、なんだかすごいことだったような気がしてきた。
複雑な気分で部屋に戻ると、起き上がった蓮が携帯を手にしている。
「あ、起きたの?」
「うん。親父にメールしてた。最終で帰るから、待ってないで先に寝ろって」
「そう」
どこに座ったものか一瞬迷って、蓮から少し離れた床の上に腰を下ろす。
「……襲わないって」
「や、別にそんな」
苦笑した蓮が、携帯を差し出した。
「見る?」
「え?」
開いた画面は、アドレス帳。そこにあるのは実家のものらしい06で始まる番号と、
あたしも知ってる蓮のお父さんの携帯番号、メールアドレス、会社の番号。
それだけ。
「……今さ、久しぶりに俺に戻れたんだな、と思って、普通なら、友達とかに連絡取るんだろうな、とか……」
本当に、いないんだろうか。
蓮は明るくて、話しやすくて、同年代の子とはすぐに友達になれそうなのに。
「いや、そんだけ」
「……ちょっと待って」
あたしは自分の携帯を出してくると、プロフィールの画面を呼び出した。
「はい、登録して」
「……いいの?」
「何言ってんのよ。明日帰ったら、それきり会わないつもり?」
「まさか。――そんなことできねぇよ」
「じゃ、ほら。あ、ついでにあたしのにも、そっちの番号入れといて」
「うん」
笑って携帯を操作する蓮の手元を覗き込むように、少し近くに寄る。
「着メロ、何にしようかな」
「何だっていいわよ」
「いや、おまえのは、すぐ分かるようにしときたいから」
サイトを開いて、ああでもないこうでもないと言いながら、曲を探す。
結局、蓮の好きなバンドの、バラード調の曲に決めて設定した。
「あたしのも、同じ曲にしといて」
「いいけどさ。おまえ、自分でやるの面倒くさいんだな?」
黙って携帯を差し出したあたしに笑って、同じ曲を呼び出して登録してくれる。
「……これから、増えるよ」
「うん。分かってる……ごめんな」
「何が?」
「んー……なんか情けないけど、俺、帰って来て良かったのかな、って」
あたしは思わず、蓮の腕にしがみついた。
「あたしじゃ、ダメ?」
「え?」
「ずっと、待ってたんだよ。大阪まで、探しに行ったんだよ。
あの病院にも何度も行って、鏡の前で、待ってたのに――」
「……瞳子」
蓮の腕が、あたしを引き寄せる。
あの夜と同じように、静かに髪を撫でてくれた。
「あのさ」
「ん?」
「肩、抱いたら怒る?」
あたしは笑って、首を横に振った。
そっと肩に回された腕に、力がこもる。
「えー……と」
「……何?」
「キスは、ダメ?」
「は?」
「あ、じゃあ、ここ」
あたしのおでこを指で突付くと、軽く唇を触れる。
「このくらいなら、いい?」
「……いちいち訊かないでよ」
なんか、却って恥ずかしいんだけど。
「だってさ、俺、まともに恋愛したことないから」
「そんなことないでしょ」
「いやマジで。……こんなこと言ったら怒ると思うけど、ちょっと一緒にいて、寝たら、それっきり」
「だって……蓮は、好きだったんじゃないの?」
「さあ。可愛いな、好きだな、て思った子とそうなって、やっぱりいつも、あっけなく終ってて。
なんかもう、どうでもいいやって感じになってた」
あたしの肩に両腕を回すと、頭をコツンとぶつけるようにして苦笑する。
「友達もさ、バイトとかで一緒になって、気が合って何度か遊びに行って、
でもいつの間にか態度がよそよそしくなってて。
いったん登録したアドレスも、すぐに消してた。残しても、意味なかったから」
「それって」
あたしは蓮の頬を両手で挟んで瞳を覗き込んだ。
「そのままアドレス残して、時々連絡取ってたら、続いてたかも知れないじゃない」
「分かんねぇ。……でも、ああダメだなって思ったら、俺から引いてた。でないと……つらいから」
「ダメだよ」
伏せられた蓮の視線を追うように、顔を上げさせる。
「もう、大丈夫だから、逃げないで。誰とでも仲良くなれるわけじゃないけど、蓮は大丈夫だから。
少しづつでいいから、人を信じてみてよ。ゆっくりでいいから、
近寄ってみてよ。――あたしも、そうするから」
「……うん。ごめん」
蓮の頭を抱きかかえて、髪を撫でる。
あたしにできるのは、このくらいだ。蓮は、やっとこの世界に辿り着いたばかり。
自分で自分の居場所を見つけて、この世界の中で歩いていくのは、これからなんだ。
あたしは、蓮が迷った時、帰って来られる場所でいたい。
「とりあえず、明日帰るけど……」
腕の中から、くぐもった声がする。
「俺、こっちで就職しようと思う。どうせもう少しで親父も戻って来るし。
向こうで単発のバイトくらいするかも知れないけど、時々こっちに来て、仕事と住むとこ探そうと思って」
「うん。そうだね」
「……いいかな」
あたしの背中に手を伸ばして引き寄せた蓮の声が、微かに震えていた。
「俺、ここにいていいかな」
抱え込んだ蓮の頭に、頬を寄せる。
「……当たり前でしょ。もう、どこにも、行かないでよ」
「瞳子……」
「ん?」
「俺の目の前に何があるか、分かってる?」
「は?」
「いや、見慣れてるはずなんだけどさ。こんだけ間近におまえの胸があると、触りたくなるんだよね」
思い切り突き飛ばしたあたしに、蓮はあのいたずらっ子の顔で笑った。
平日の最終列車のホームは、空いていた。
蓮の乗る車両の停まる場所で、ベンチに座って待つ。
「帰ったら親父と話して、こっちで何するか考えるよ」
「うん。焦ることないからね」
「分かってる。――だから、来月にはこっちに来て、いろいろ当たってみる」
つないだ手に軽く力をこめて、蓮と目を合わせて笑った。
――昨夜、せっかく布団を敷いたというのに、蓮はこのでかい体であたしの隣に潜り込んできた。
何もしない、と言いながら、腕枕はいい? ほっぺにちゅーならいい? と、
いちいちうるさい蓮に、あたしは笑いっ放しだった。
何の仕事をしようかとか、どの辺に住もうかとか、
そんな話をしていた蓮が、ふと静かになったので横を見ると、いつの間にかぐっすり眠り込んでいた。
無防備な寝顔は、間違いなく男の人なのに。
あたしの首の後ろに回された腕も、枕の上に投げ出された手も、あたしのものとは違うのに。
不思議と、あの夏にあたしの部屋で過ごした蓮に、重なって見えた。
蓮は、蓮だよね。
もうどこにも行かない。この世界で、一緒に歩いて行ける。
あたしは蓮の寝顔を見つめて、少しだけ泣いた。
ホームにアナウンスが流れ、列車がゆっくりと滑り込んで来る。
黙って立ち上がった蓮が、あたしの髪を撫でる。
「あ、そうだ」
「え?」
「まだ言ってなかった」
「何?」
バッグを足元に置いてこっちを振り返ると、少し膝を曲げてあたしの顔を覗き込んだ。
「俺、瞳子が好き。一緒にいたい。付き合ってくれる?」
「な……」
いきなり直球できた言葉に、あたしは思わず笑い出した。
「なんで笑うよ!」
「ご、ごめん、だって。……もう」
「あのな」
言いかけた蓮の言葉を遮るように、発車時刻を知らせるアナウンスが流れる。
蓮が舌打ちをして、デッキに足をかけた。
「蓮」
「あ?」
あたしは蓮の肩に手をかけて、顔を寄せた。
一瞬目を丸くした蓮が、あたしの腰に腕を回して引き上げ、唇を重ねた。
発車のベルが鳴る。
体を離した蓮に、あたしは笑いかける。
「あたしも、蓮が好き。だから、待ってる」
「……ああ」
ドアが閉まって、列車が動き出した。
手を振る蓮の笑顔が見えなくなるまで、あたしはホームに立ち尽くす。
ここが、あなたのいる場所だから。
これから先は、あなたの手の中にあるから。
バッグの中にある携帯から、聞き慣れない着信音がした。
蓮が設定した曲だと気付いて、届いたメールを開いて、あたしは吹き出した。
そこにはたった一言。
『I LOVE YOU !!』
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