「えー……お邪魔しまーす」
なんとなく体を縮こませるようにして、蓮が部屋に上がる。
せまい室内をぐるりと見渡すと、ほっとしたように息を吐いた。
「お腹すいたでしょ」
「うん。もう、倒れそう」
そう言いながらキョロキョロしていた蓮が、部屋の隅に置かれたバッグに目を留めた。
「あ、置いといてくれたんだ」
「え? ああ、うん」
大阪から持ってきた、蓮のボストンバッグ。埃よけにかけておいたビニールを取って、
蓮が中身を引っ張り出す。
「ラッキー。着替えとか持って来といて正解だったな。お、こっちも無事!」
「取らないわよバカ」
当面の生活費にと銀行で下ろしてきたお金を、封筒に入れてしまってあった。
その日に使う分だけを財布に入れていたのを、見たことがある。
意外としっかりしているんだな、と、その時思った。
とにかく何か食べさせようと冷蔵庫を覗くけれど、
やっぱりスーパーまで行ってこないとしっかりしたものは作れそうにない。
あたしは、お米を研いで炊飯器にセットすると、なにやらゴソゴソやっている蓮を振り返った。
「あ」
「あのさ」
またしても言いかけた言葉を取られて、苦笑する。
「何?」
「――俺、今日、ここにいていいのかな」
少し困ったような顔で見上げる蓮の視線から逃れるように、あたしは再び冷蔵庫を開けた。
「いいわよ。今から大阪まで帰れないでしょ? あ、そうだ、早くお父さんに電話しときなさいよ」
「うん」
笑って言う声に顔を上げると、蓮がすぐ近くに立っている。
「……あたし、買い物行ってくるから」
「何買うの?」
「夕飯のおかず。軽いものしかないから、スーパーまで」
「俺も行く」
「え? いいよ、疲れてるでしょ」
「いや、一緒に行く」
なんだか留守番をイヤがる子供みたいで、笑ってしまう。
「うん、じゃあ、駅まで行く? 明日の切符買わないと」
「あ、そうだな。そうする」
荷物の中からヒップバッグを出して、そのポケットにお金を入れると、腰にベルトを通してバックルを止めた。
「よし、行くか」
「うん。何食べたい?」
「もう何でも」
駅の切符売り場で、新幹線の時間を確かめる。
「一番早いのは……7時か」
「そんなに早くなくたっていいじゃない」
「んー……じゃあ、10時頃とか」
カウンターに肘をついて、時刻表を睨む蓮の横顔を見つめる。
――この人が、あの、蓮なんだ。
本当に、帰ってきたんだ。
なのに、明日には大阪に帰ってしまう。あと、10数時間で、また遠くに行ってしまう。
「――瞳子?」
あたしはいつの間にか、蓮のシャツの裾をつかんでいた。
「……もう少し、いられない?」
「え?」
「遅くなったら、ダメ?」
軽く目を見開いてあたしを見下ろしていた蓮が、破顔した。
「……俺は、いいけど」
「じゃあ、……そうしよ?」
「うん」
結局、最終列車の切符を取って、スーパーに向かう。
あたしが買い物をしている間、蓮は表の駐車場に立って待っていた。
荷物を下げて出て行くと、携帯を畳んだ蓮と目が合う。
「お父さん?」
「うん。びっくりしてた。明日の夜には帰るって言っといたから」
「そう」
あたしの手から荷物を取ると、微かに笑って、先に立って歩く。
――なんか、すごく、男の人に見えるんだけど。
部屋に帰って買って来たものを冷蔵庫にしまい、ベッドに凭れて座っている蓮の近くに膝をつく。
「簡単なものだからすぐできるけど。先にお風呂入ってくる?」
黙って顔を上げた蓮が、ふいにあたしの手首をつかんだ。
「……え?」
顔が近付いてくる。唇を塞がれる。そのまま、蓮の重みがのしかかってきて、あたしは床に押し倒された。
「ちょ、ちょ、ちょっと! 蓮!」
「ん?」
いつの間にかあたしの胸の上にある右手を、押しのける。
「待ってってば!」
「え、ダメ?」
「ダメって、そんな、いきなり」
体を起こした蓮が、戸惑ったような視線を向けた。
「――えーと、まずかった?」
「……何言ってるのよもう。ご飯作るから、お風呂入ってきて」
「うん」
ちょっと考え込んだ顔の蓮が、バスルームに消える。あたしは髪を直して、台所に立った。
――そりゃ、さっきは思わず抱きついてしまったし、
互いに――なんと言うか――憎からず思っているとは思うんだけど。
分かっていたとは言え、今ここにいる蓮は男の人で。
あの時一緒に寝起きしていた時のような距離感が、つかめない。
それにしてもいきなりだってば。もうちょっと、ゆっくり話くらいしたいのに。
とにかくあまり手間をかけないで済んで、お腹一杯になるもの、と思って、野菜炒めに焼肉、
おひたしと味噌汁とご飯とをテーブルに並べていると、蓮が出てきた。
「おー、うまそー」
「何か飲む?」
「うん」
と言って冷蔵庫に手をかけ
「あ、いい?」
とあたしを振り返る。
いつも勝手に開けて飲み食いしていたくせに、と苦笑しながら頷くと、
小さめの冷蔵庫の前にしゃがんで、ドアを開けた。
「んー……あれ?」
手にしているのは、ビールの缶。
「瞳子、飲んだっけ?」
あたしはあまり飲めない。ビールも、わざわざ買ってきて家で飲むほどには好きじゃない。
ただ、蓮が――風呂上がりにビールビールと騒いでいたので、買っておいたんだ。
「ううん。――帰ってきたら、飲むかな、と思って……」
お皿を並べているあたしの顔とビールの缶を見比べていた蓮が、くしゃっと笑った。
「サンキュ――でも、今はやめとく」
そう言って麦茶のボトルを出してコップに注ぐと、一気に半分ほど空けた。
「はい、ご飯どうぞ」
「やったー」
Tシャツに短パン姿で食卓に座り、パン、と手を合わせて、
「いただきます、と」
と言うが早いか、すごい勢いで食べ始める。
「……ちゃんと噛んでよ」
「うん」
前から良く食べるとは思っていたけど、やっぱり自分の体だと違うのかな。
蓮が座ると、テーブルも椅子も、箸も茶碗も小さく見える。
あたしが自分の茶碗を手にぽかんと眺めている間に、あっと言う間に蓮の茶碗が空になった。
「はい、おかわり」
手を出したあたしに、照れくさそうに笑って茶碗を差し出す。
「ゆっくり食べてね」
「うん」
聞いているのかいないのか、目の前の食事のことしか見えていないような蓮を見ているだけで、
あたしはお腹が一杯になってしまった。
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