My smiling face which you know

    3.

    いつの間にか、ウワサは広がっていたらしい。
    委員会のあと、図書室で待ち合わせて一緒に勉強をし、そのまま一緒に学校を出る。
    陽が落ちるのも早くなったし、そんなに遠回りでもないからと、
    東條くんはあたしの家まで送ってくれるようになった。
    さすが『皇子』。紳士じゃないの。
    などと呑気なことも言ってられなくなったのは、文化祭まであと2週間という頃だった。
    「早智、皇子と付き合ってるって、ほんと?」
    昼休みの残り時間、廊下でお菓子をつまみながらダベっていたあたしは、
    房枝の直球な質問に飲みかけのコーヒー牛乳を吹き出した。
    一緒におしゃべりしていたコ達の視線が集まる。
    廊下や教室の中まで、一気に静まり返ってしまった。
    「な、な、何を言い出すの」
    「だって、仲いいじゃん。よく一緒に帰ってるし」
    「だからそれは、勉強教えてもらってるだけだって」
    「そうかなぁ」
    「――そんなんじゃ、ないわよ」
    別に何もない。
    あたしと『皇子』が、付き合うなんてあるわけがない。
    そう呼ぶと怒るけどね。
    「あたしはいいと思うんだけどね。早智と丈瑠皇子って、お似合いだし。……でも」
    そこまで言って、房枝は声を落とした。
    「皇子のファンのコ達、結構早智に目ぇ付けてるよ。一応、気を付けたほうがいいんじゃない」
    「だから、何でもないってば!」
    ああもう、面倒くさい。
    何でこんなふうに、付き合ってるとかなんとか言われなきゃいけないの。
    普通に、仲良くしてたらいけないのかな。
    そう、普通に――『皇子』じゃない『東條くん』と。
    「あたしは、皇子とは付き合ってません! ぜんっぜん、そんなんじゃないわよ!」
    これがその『ファン』のコ達に聞こえるか分からないけど、あたしははっきりと叫んだ。
    目を丸くして見ていた周りの友達が、息を呑んで廊下の奥に視線を向ける。
    そこに、東條くんがいた。
    「え……」
    あたしが何も言わないうちに、彼は踵を返して歩いて行った。
    一瞬だけあたしに向けられた視線は――ひどく、悲しげに見えた。
    ――どうして、そんな瞳をするんだろう。
    「……早智……皇子、ショック受けてたよ」
    「ま、まさかぁ。そんなわけないじゃん。ほんとに何でもないんだから」
    それ以上何も言われないように、あたしは教室に戻った。
    折りよく、始業のチャイムが鳴る。
    授業を受けながら、目を閉じると彼の瞳の色が浮かぶ。
    ノートを取る振りで俯いたあたしの目に、涙が溜まっていく。
    ――どうして――あんな瞳をしていたの。
    どうして、あたしは泣きたいの。

    放課後の図書室に、彼は来なかった。
    委員会の席でも、互いに顔を合わさないようにしていたから、少しでも話がしたかった。
    さんざん迷って、携帯を取り出しかけて、気付く。
    彼の電話番号なんて、聞いていなかった。
    あたしの電話番号も、知らないはずだ。
    こんなんで、付き合ってるなんて、笑っちゃうよ。
    なにせ、彼は『皇子』だもん。
    大きな病院の息子で、成績優秀で、カッコよくて。
    部活には入ってないっていうけど、体育の授業で短距離を走るのを見たことがある。
    普段の冷たい、投げやりな表情からは想像も付かないような真剣な顔。
    走り終えて、同じクラスの男子と笑い合う無邪気な笑顔。
    あの笑顔があたしに向けられた時、確かに嬉しかったんだ。
    『皇子』じゃない彼に触れられて、作られてない笑顔に会えて。
    確かに、嬉しかったんだ。

    ファイヤーストームが天を焦がす。
    あたしは放送室の窓から、ぼんやりと後夜祭の風景を見下ろした。
    あれから――東條くんに避けられるようになって、
    委員会の仕事にも身が入らなくなってしまった。
    多少は責任を感じたのか房枝ががんばってくれて、
    何とか無事に文化祭も終わろうとしている。
    けれど、後夜祭で楽しく歌ったり踊ったりなんて気分になれないあたしを気遣ってか、
    音響の管理をする仕事にまわしてもらえた。
    おかげで、この放送室で1人、音楽をかけたりマイクの音量を調節したりしていられる。
    『えー、それでは、いよいよラストでーす。パートナーは決まりましたかー』
    司会の声が、ここまで聞こえてくる。
    『はい、じゃ、音楽スタート!』
    その声に合わせて、あたしはCDデッキのスイッチを入れた。
    何年か前に流行ったダンスナンバーが流れて、それぞれに手を取り合って踊りだす。
    はあ、楽しそうだこと。
    何であたしはここで、こんなに落ち込んでいるんだろう。
    そう、結局は――。
    バン、と音を立てて放送室のドアが開いた。
    「お、皇子?」
    「……そう呼ぶなっつってんだろ」
    軽く息を切らせた東條くんが、あたしの隣に腰を下ろす。
    「――どうしたの」
    「校庭中、探しちまった。どこ行ったのかと思って。おまえのツレに訊いたらここだって言うから」
    「あ……何か用?」
    明るい音楽が、みんなの歓声が、響いてくる。
    答えずに俯いていた彼が、ゆっくりと顔を上げた。
    「――ごめん」
    「え?」
    「……避けたりして。勉強する約束も、すっぽかした」
    「あ、うん――」
    何を言えばいいんだろう。
    あたしのほうこそ、と謝れば、付き合ってたと思ってたことになってしまう。
    そんなのは、思い上がりなのに。
    それきり互いに黙り込んだ放送室に、司会の声が響く。
    『はーい、今度こそラストでーす! アンコール曲で終わりですからねー』
    あたしは慌てて曲をフェードアウトさせ、ディスクを入れ替えた。
    「……秋山」
    「……何?」
    「俺のこと、もう『皇子』って呼ぶな」
    「うん。ごめん、イヤなんだよね。気を付けるよ」
    「そうじゃなくて……そりゃ、誰に呼ばれるのもイヤだけど
    ……おまえに呼ばれるのは、一番イヤだ」
    「――え?」
    「おまえが、俺と付き合ってるとか言われてイヤなのは分かった。
    でも……俺は……おまえの前で『皇子』でいたくない」
    「あ、あたし」
    思い上がり。勘違い。それでも。
    「東條くんと付き合ってると思われて、イヤなわけじゃないよ。
    ――東條くんのほうが、迷惑だろうって」
    「俺が『皇子』だから?」
    「え……あ……そう……なのかな」
    「だから、俺は『皇子』じゃないって言ってる。ただの、東條丈瑠だ」
    「……うん」
    「だから……」
    にぎやかな曲が、笑いさざめく声が、炎に彩られた夜空が、すべてを隠してくれる。
    見つめる瞳に吸い込まれて動けないあたしの後ろにあるミキサーに、彼が左手をついた。
    空いた右手が、あたしの頬に触れる。
    「……言っても、いいか?」
    「――何を?」
    「おまえが、好きだって」
    金縛りに遭ったように動けない。息もできない。それなのに、あたしは笑っていた。
    「――もう、言ってるじゃない」
    静かに、軽く、唇が触れ合う。
    あたしは、彼も笑っていることに気付いた。
    「東條く……」
    言いかけた唇を、また塞がれる。
    「丈瑠って呼べよ」
    「ずるい、そっちこそ――」
    「早智……」
    生まれて初めて男の人に呼び捨てにされた名前に、頭の奥が痺れるような気がした。
    丈瑠、と呼び返そうとして、いつの間にか音楽が止まっていることに気付く。
    かすかなざわめきは聞こえるけど、さっきまでの歓声は消えていた。
    「何か……静かじゃない?」
    「――え? ……ああっ!」
    飛び上がった彼の左手の下には――マイクのスイッチ。
    「……全部、筒抜け?」
    「……そういう……ことに……なるな」
    大変だ。今頃友達や先生や――みんなこっちに向かっているだろう。
    言い逃れのしようがない。彼のファンにも、袋叩きに遭うかも知れない。
    「……何、笑ってんだよ」
    「だって……」
    「どうすんだよ。って、俺がやったのか。もう逃げられないぞ、学校中にバレてんだから」
    そう言った彼も笑っている。
    結局、先生や友達が放送室になだれ込んで、叱られたり冷やかされたりするまで、
    あたし達は笑い続けていた――。

    〜fin〜




Illustration by 鷲尾美月様




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