クリスマスには奇跡が起きる。
ふと目覚めたあたしは、学校の庭を門に向かって歩く彼を見つけた。
――今、彼にあたしを見ることはできない。
それが分かっているから、少しの間ここにいることにした。
「あ、布施くんだ。おーい」
一人で歩く彼に、遠くのほうから女の子が声をかけ、走り寄って来る。
「今日は何?もう帰るの?」
軽く息を切らせた彼女に、彼も足を止めて振り返る。
「ああ。図書館に用事あっただけだから。今日で終わりだろ? ――藤井は?」
「あたしはサークルのミーティング。って言っても、集まってお茶飲んでるだけなんだけどね」
どうやら、同じゼミの娘らしいと分かってくる。足りなくなったおやつを買出しに行ったらしく、
コンビ二の袋を下げている。小柄で溌剌とした可愛い娘。――また彼女が心配しても知らないわよ。
「そう言えば、布施くんてサークル入ってるの?」
「いや。興味ないから」
「楽しいよー。そうだ、これから飲み会やるんだけど、来ない?」
「飲み会? ……いいよ、俺は」
「おいでよー。イブじゃない、今日。一人でいるより楽しいって」
「……なんで一人だって決めてるんだよ」
「え? 一人じゃないの? ……まさか布施くん、彼女いるの!」
「まさかって……そんなに驚くか」
「驚くよー。絶対いないと思ってた。なんかそう見えないんだもん」
「おまえそれ、すっげー失礼」
「あ、そう? でもみんなで、布施くんが今年中に彼女を作るかどうか賭けてたんだよ。
『作る』に3票、『作らない』に7票、『じつはホモ』に11票」
「……みんなしてケンカ売ってんのか、俺に」
「違うってー。そうかー、いたんだー。うちの学校のコ?」
「いや、違うよ」
「んじゃ、バイト先で一緒とか?」
「――そういうわけでもないけど」
「ふーん。まあ、それなら今夜は外せないわねー。じゃ、またおいでよ」
「ああ」
ひらひらと手を振って、彼女が小走りに校舎に向かって行く。
その後姿を見送って、しばらく躊躇ったあとで彼が口を開いた。
「藤井!」
「え、なーにー?」
「悪いな、行けなくて――サンキュ」
実はかなり思い切って言ってると思う。そのまま走って帰りそうな彼に、彼女はにっこり笑いかけた。
「どういたしましてー。よいお年をねー」
「おー。また来年な」
そう言えたことに満足したのか、ちょっと照れくさそうな笑みを浮かべて歩き出す。
――へーえ。結構成長したじゃないのよ。
と、思ったのに。
昼過ぎの混み合ったデパートで、彼はさっきから目の前のショーケースを睨んで固まっていた。
イブの貴金属品売り場なんて、注文した品物を取りに来た人や、ひやかし半分のカップルばかりだ。
一人で途方に暮れている彼に、手の空いた店員さんも少し迷うそぶりを見せてから声をかける。
「――いらっしゃいませ。贈り物ですか?」
よりによって今日自分用のを買いに来たら、ちょっとヤバイと思うわよ、お姉さん。
「ええ、まあ……」
ごにょごにょと呟きながら見つめてるのは、
シンプルなプラチナの台に青みがかった半透明の石がついたリング。
ブルームーンストーンね。彼女が欲しがってたの、覚えてたんじゃない。
「こちらですか? サイズはおいくつでしょうか」
「サイズ――」
初めて聞く外国語のように、その言葉を繰り返す。――ちょっと、大丈夫なの?
「ええ。指輪はどうしてもサイズが合わないと……お直しする必要が出てしまいますので」
そりゃそうよね。お直しったって、ズボンのすそ上げと違うんだから、
今日中にできるわけじゃないのよ。
「あの、サイズがお分かりにならないようでしたら、ネックレスですとか。
ブレスレットなども素敵なのがございますよ?」
店員さんのそのセリフにもめげず、彼はポケットからパスケースを取り出し
――中から紙くずのようなものをひっぱり出した。
大事そうに取り出されたのは、どうってことないストローの空き袋だった。
確かに指輪くらいのサイズに輪を作って、ホチキスで止めてある。
――クリスマスに指輪を贈ろうと思ったのはいいけど、サイズを訊くのがどうしても照れくさくて、
あとは、ちょっと驚かせたいというのもあって、
彼女が寝ている間にそうっと紙の指輪を作ったんだわ、この人。
どの指にするかさんざん迷って、結局右手の薬指にしたのはなかなかいい勘してるかも。
学校の友達にでも聞いたのかも知れないけどね。
ねじって止めたりして形が変わらないようにホチキスで止めて、
大事にパスケースに入れておいたんだ。
今日まで3週間も。
あんた、バカ? すぐ買いにくればお直しだって余裕で間に合ったじゃないのよ。
「すいません、これだとどれくらいのサイズですか?」
彼が差し出した紙の指輪に一瞬虚を突かれた顔をしたものの、
今時微笑ましい恋人同士だと思ってくれたのか、
優しい笑みを浮かべて店員さんが円錐形の小さな棒を取り出す。
棒のまわりに数字が書かれたいくつもの輪が刻まれたそれは、
指輪のサイズを測るためのものだった。
「こちらですと――8号ですね」
いきなり8号と言われてもピンと来ないらしい。まあ、平均的なサイズなんじゃないの?
店員さんはそのまま彼が見ていた指輪を取り出し、
似たデザインの指輪も一緒にトレーに並べてくれた。
「この指輪は――9号になりますね。お直しに1週間くらいかかってしまいますが……」
第一候補の指輪を見て、気の毒そうに告げる。
彼も、そう言われると他を選ぶ機転も回らず考え込んでいる。
――ああもう、世話がやけるったらないわ。
ふと何か思いついたらしい店員さんが、紙の指輪が嵌ったままの棒に、例の指輪を通す。
それは、紙の指輪と同じ数字の上で、ぴたりと止まった。
「――あら? これは――8号ですね。すみません、こちらの表示が間違っていたようで」
「あ、いえ。……じゃ、これで大丈夫ですか?」
「はい。こちらでちょうどよろしいかと思います。
もしお合いにならないようでしたら、お持ちいただければお直し致します」
「じゃあ、すいません、これ下さい」
「はい。お包みしますので、少々お待ち下さい」
微笑んで奥に消える店員さんを見送って、ようやく肩の荷が降りた様子で彼がため息をつく。
そのままショーケースに軽くもたれるようにして、にぎやかに人が行き交う店内をぼんやり眺めてる。
ま、しばらくそうしてなさい。
人混みに疲れることも、照れくさい思いをして買い物をすることも、ひとつのプレゼントになるんだから。
夕暮れ時。ケーキの箱と、プレゼントの包みを抱えて、彼女が駅からの道を急ぐ。
白い息を吐いて、両手を擦り合わせて、時折こぼれる笑みを閉じ込めて。
同じ頃彼は、彼女にどういうタイミングでその包みを渡すのか、
その瞬間までどこに隠しておけばいいのか、
部屋中をうろうろしながら悩んでいた。
あとは放っておいても、幸せな夜になるわね。勝手にしてちょうだいな。
――笑ってそこから消える前に、もうひとつだけ、プレゼントをあげる。
やっと見つけた本棚の隙間に指輪の箱を押し込んで、屈めていた腰を伸ばす。
……そろそろ来る頃かな。
そう思った時、窓を叩く音が聞こえたような気がした。
まさかな――そう思って振り返った先には、当然何もない。
苦笑して、それでもなんとなく窓を開けて、僕は空を見上げる。
――雪だ。
灰色の空から次々に、白く冷たいかけらが落ちて来る。
ずっと見上げていると吸い込まれそうな空に、小首をかしげた笑顔が重なる。
柔らかく澄んだ空気が、一瞬部屋を通り抜けた。
「――アツミ……?」
胸に抱えたケーキの箱がなるべく揺れないように気を付けながら、つい急ぎ足になってしまう。
これでも迷ったんだけど、手編みのマフラーなんてやっぱり嫌がるかしら。
学校で、誰にもらったのか冷やかされたりするかな。
……そしたら、なんて答えるのかしら。
いいや、渡しちゃえ、ともう一度包みを抱え直して、何かの気配を感じて立ち止まる。
「――あ、雪!」
ひとつ、ふたつ、白い羽のように、空から贈り物が降りて来ていた。
――子供の頃は、雪が大好きだった。
何度も窓から外を眺めて、少しでも積もれば泥だらけの雪だるまを作って。
それがいつの間にか、次の日の通勤のことを考えてため息をつき、
着て行く服や履く靴に悩むようになり。
……ごめんね、ずっと思い出さなくて。
懐かしい友達に出会ったように、私は白いかけらに手を伸ばす。
「――ありがとう」
ほらね、クリスマスには、奇跡が起きるのよ――。
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