2.
1週間ぶりに登校した学校は、何も変わらなかった。
ま、変わるはずもないんだけど。
友達や知り合いとは一通り、手を取り合ってジャンプする『ひさしぶりー』の儀式も済んだし、
そのあとは相変わらずの日々。
全体にだらけたやる気のないムードもそのままだ。
「えー、それじゃ、誰か立候補、いませんかぁ」
週末のLHR(ロングホームルーム)。学級委員がのんびりと教室の中に向かって問いかける。
当然のように、反応はなし。
何の立候補を募っているかと言えば、
この秋にやる文化祭の実行委員が未だに決まらないから。
「あと3年ではうちのクラスだけ決まってないんでぇ、他薦でもいいですよー」
そのセリフが出た途端、それまでちらちらとこっちを見ていた視線が、いっせいに集まる。
「な、何よ」
「はーい」
隣の席の房枝が挙げかけた手を、慌てて押さえる。
「ちょっと待った! あたしは去年も一昨年も実行委員やってんのよ! いい加減に――」
「秋山さんがいいでーす」
廊下側の席から声が上がった。同時に拍手。
「だー! それじゃ何にもならないでしょーが! こういうのは色んな人がやってこそね」
「あ、だからあたしも手伝うから。ベテランの早智がいてくれたほうがいいでーす」
房枝のフォローに、再び起こる拍手。
「あー、そんじゃま、秋山、悪いけど頼むわ。おまえ慣れてるし」
教室の隅の椅子から、担任教師が呑気な声で言う。
慣れてりゃいいってもんじゃないっつうの!
そんな訳で、あたしはやたらと忙しくなった。
所属している文芸部も、この前決まった新部長がやたらと頼りなくて、
元部長のあたしが顔を出さないわけにもいかない。
何故かまだ5月だっていうのに毎週ある実行委員会に出席し、
あやうく委員長にされかけたのを阻止し、
明日クラスで配る予定のプリントを房枝に預けて部活に向かう。
これで受験に失敗したら、どうしてくれるってのよ。
足早に廊下を歩いていると、向こうから来た男子と目が合った。
「あら」
「……ああ」
『皇子』だ。何してんのかしら。
「お元気?」
「――まあな」
ふと、彼が抱えているプリントの束に気付く。
「あれ? それって文化祭の? 何で持ってんの?」
「何でって――明日配るんだろ」
「そうだけど、お……東條くんが、何で?」
「おまえな……」
呆れたようにため息をついて、あたしを見下ろす。
「さっきの委員会、俺もいたんだけど」
「え!? A組の委員って、東條くんだったの?」
「……やりたくてやってるわけじゃねぇけどな」
「ま、みんな結構そうよね。そりゃご苦労様」
それにしても意外。絶対そんなことやりそうにないのに。だからこそ『皇子』なんだけどね。
「……おまえ、この間の……」
「ん? 何?」
「――いや」
「ごめん、あたし急ぐんだわ。部活に行かなきゃ」
「ああ、そう――あんまり無理す――」
言いかけた東條くんが、口を押さえてバツの悪そうな顔をする。
「何?」
「……何でもねぇ。……また入院しても知らねぇぞ!」
そう言い捨てると、怒ったように歩いて行ってしまう。
……なんか、この間から捨て台詞ばかり言われてる気がするけど。
一応、心配してくれたのかしら。
それから、東條くんとは時々顔を合わせるようになった。
クラスは違うけど委員会で毎週会うし、どういうわけか話しかけてくれたりする。
廊下で会って二言三言話すくらいだけど、当然周りの視線は痛い。
あの『皇子』が、ウルサイ秋山と仲良くしてる、というわけだ。
別に特に仲良くもないんだけどね。
話すことと言えば、文化祭のこととか、部活のこととか。
あとはほんの少し、彼の家のこと。
あの病院の院長は、東條くんのお父さんらしいのだ。
で、進路を決めるにあたって、医学部へ進むように言われていること。
東條くんには医者になる気はなく、それで少しゴタゴタしていること。
あんな場面を目撃してしまったし、少しづつぽつりぽつりと話してくれたのはそのくらいだ。
第一、そんなふうに言葉を交わしたりするようになる頃には、2学期に入っていた。
「秋山、これ」
「あ、ありがとー」
委員会の日、部活のミーティングと重なって出席できず、房枝も風邪で欠席していた時。
ミーティングを終えて部室を出たあたしに、東條くんがプリントを持ってきてくれたのだ。
「必要な備品とか、正しい数を出して来週までに提出。以上」
「はい。どうもでした」
「……忙しそうだな」
「まあねー」
「部活、引退じゃないのか」
「ほんとならね。なんつうか、乗りかかった船だし」
「で、一緒に沈没する、と」
……たまにこういう笑えないジョークを言ってくれるんだわ、この人。
「うーん、そろそろ手を引かないといかんとは思うんだけどねー」
「もうすぐ模試があるだろ。大丈夫なのか?」
「う、まあ、概ね……一部を除いて……なんとか……」
「一部って」
「まあなんですか、主に数学方面ですか……」
「数学、苦手なのか」
「そうはっきり言われると」
「苦手なんだな」
「はい、苦手です」
へへへ、と笑ったあたしに、東條くんはやけにシビアな顔で考え込んでいた。
それから言いにくそうに、視線を泳がせる。
「もし……おまえが良ければだけど」
「へ?」
「数学、教えてやろうか」
「え!?」
「いや、俺、数学ならまだマシだし」
マシも何も。毎回模試の成績表で1ケタ以下になってないお人が何を言う。
「で、秋山、現国得意だろ」
「はあ、一応文芸部ですんで」
「俺そっちはダメだから……ちょっと手伝ってくれると助かるというか……」
「手伝う! ええもう、何でもします! 数学教えて!」
実際、今度の模試はヤバイと思ってたんだ。
文化祭の準備も大詰めだし、部活のほうも心配だし、なかなか勉強に裂く時間がなくて。
などと言い訳してみるけど、数学が苦手なことには変わりない。
「じゃ、委員会のあとでいいか? その日は予備校もないし」
予備校行ってたのか。あたしは夏期講習しか受けてないぞ。
「いいの? 教えてもらって」
「ギブアンドテイク。現国は、よろしく」
「がってんだ!」
ガッツポーズをしたあたしを見て、東條くんが笑う。
あたしは、彼の『破顔』とも呼べる笑顔を、初めて見た。