……1230……1235……36……あった。
俺は自分の受験番号1238番の書かれた掲示板を見上げて、大きく息をついた。
落ちるつもりはない、などと豪語したものの、落ちるわけにはいかない、というプレッシャーはあった。
親父の失踪騒ぎも一段落して、本格的に受験生としての生活になった。
夏休みは予備校の夏期講習に通い、文化祭が終わると放課後のほとんどを受験勉強に費やした。
恵美ともたまに気晴らしに一日出かけるくらいで、寝る前の『おやすみ』メールでつながっていた。
同じ学校というおかげで、放課後一緒に図書室で勉強したりはできたけれど。
あの『生徒会長による2年女子拉致事件』の直後に夏休みに入ったにも関わらず、
俺と恵美の仲は2学期には学校中の知るところとなっていた。
担任は言うに及ばず、学年主任や部活の顧問の先生まで、俺を見かけるとニヤニヤ笑ってくれる。
高木さんに出くわした日には、思い切り吹き出されたこともある。
――こいつをそのうち義弟と呼ばなければならないわけか、多分。
こっちもバラしたろか、と睨み返すと、慌てて手刀で謝るしぐさをした。――それでもまだ笑ってたけどな。
まあ別にいいか。隠すつもりもないし。
そんなことを思い返して、悲喜こもごもの合格発表会場をあとにして、携帯を取り出す。
「――もしもし」
『あ、隆太郎?』
「うん。今見てきた」
『……で?』
息を呑む気配が伝わってきて、落ちたフリでもしてみようかという気が起こってくる。
さすがに後が怖いから、笑いを堪えて告げる。
「サクラサク」
『――良かったぁ』
「まあ、俺が落ちるわけないってね」
『まったくもう』
「麻子にも伝えといてくれよ。2度も電話すんの面倒くさい」
『あ……それがね』
電話の向こうでごそごそ話す気配がした。
『もしもーし。おめでとうございます、オニイサマ』
「なんだ、一緒にいたのかよ」
『だって、うちだもん。恵美に、こっちで一緒に待とうって言ったの。
ご馳走作っとくから、早く帰っておいでよ』
「そっか。分かった。んじゃ」
『かーのじょに代わらなくていいの?』
「……いいよ。すぐ帰るって言っとけ」
なんでこう、みんなして人をおもちゃにするかな。
俺も人のことは言えないか、と思いながら帰宅すると、高木さんまで来ていやがった。
――麻子と恵美は、相変わらず親父の仕事の手伝いをしている。
前よりは時間を減らして、小遣い稼ぎくらいになっているようだ。
実際、麻子がいないと困るのは親父だし、いいんじゃないかと思う。
恵美を初めて親父に会わせた時、何も言わないうちから『なんだ、おまえの彼女か』
と言ったのには驚いた。もっと鈍いと思ってたんだけど。
……やっぱ、傍で見てて分かるもんなのかな。
麻子と恵美の作った料理でにわか祝賀会を開いてもらい、夜8時を過ぎた頃に
高木さんが帰るというので、麻子はその辺まで送りに行った。
いきなり2人きりになって、なんとなくそわそわしていた恵美が、小さな包みを取り出す。
「……えーと、あのね。……合格、おめでとう」
「え? ……俺に?」
「……他の人にあげてどうすんのよ」
「いや、訊いただけ。……サンキュ」
開けてみると、腕時計が入っていた。
「いいのか? ……高かったろ」
「だって、隆太郎が勉強してる間バイトしてたもん」
そう言やそうか。――俺はちょっとした悪巧みを思いついて言った。
「――俺も、おまえに渡すものがあるんだ」
「あたしに? え? なんで?」
「まあいいから、ちょっと来いよ」
そう言って、自分の部屋に連れていく。
恵美が俺の部屋に入るのは、初めてかも知れない。
珍しそうにキョロキョロしている恵美の後ろに近づき、背中から抱きしめた。
「――きゃぁっ! な、何!?」
「そんなに驚くなよ」
「だ、だって」
俺は目の前の白く滑らかな首筋に唇を押し当てた。
「――っきゃ!」
「せっかく2人きりだし、受験終わったしさ」
「……え、えぇ!?」
本気で戸惑うのがおかしくて、堪えきれずに笑い出す。
「んなわけねぇだろ。すぐ麻子も帰って来ちまうし、親父もそのうち帰るし」
笑いながら覗き込んだ瞳が、揺れていた。
「――恵美?」
「……バカ」
「あれ? 何泣いてんだ?」
「知らない! 隆太郎のバカ! もう、嫌い!」
ポカポカ叩かれて、後ずさった俺はベッドにぶつかってそのまま座らされる。
「お、おい、そんなに怒るなって」
「バカ、バカ、もう!」
泣いてんだか怒ってんだか、俺の胸を叩き続ける恵美の手首をつかんで、引き寄せた。
「……驚いた?」
「当たり前でしょ!?」
「――そんなに、イヤ?」
「……えっ……そ、そうじゃなくて……え?」
さらに強く腕を引いて、体を反転させた俺は恵美の上にのしかかった。
「……え、ちょ、ちょっと待っ……」
言いかける唇を塞ぐ。
――すぐに麻子が戻って来ることも、恵美に心の準備が出来ているはずがないことも、分かっていた。
もう少し、あと少しだけ。
重ねた唇が、自分の体の下で息づく体が、意識を吹き飛ばしそうになる。
俺は辛うじて『向こう側』へ引き込まれないうちに体を起こした。
「……恵美……」
今にも泣き出しそうな瞳に見つめられて、瞬間今の状況を計算した。
……やっぱりまずい。
俺の部屋は玄関のすぐ脇だし、誰かが帰って来れば2人で部屋にいるのは一発でバレる。
苦笑して、恵美の乱れた髪を撫でつけると、机の前に座った。
「……隆太郎……怒ったの?」
「…なんで」
「なんか、怒ってる……みたい」
「んー、怒ってるわけじゃねぇよ。……ちょっと、理性と感情の戦い中」
そう、まさに右と左の戦闘中だ。
「……イヤなわけじゃ……ないよ」
「うん」
「でも……あの……そんな急に」
「分かってる」
俺は息をつくと、机の前の引き出しから小さめの箱を取り出した。
「……心配しなくても、急ぐ気はないっつうか、急ぎたくないから。
まあ、どれだけ待てるかは神のみぞ知るって……」
「……隆太郎」
「ん?」
「……タバコ」
やべぇ。
落ち着こうと思って、無意識にタバコを出して火をつけていた。
一応、ほとんどこの部屋でしか吸ってないし、麻子にも言ってない。
親父はいつの間にか知っていて『ま、吸い過ぎんなよ』と言っていた。
自分が吸わないにしちゃ理解があるって……いやそれどころじゃないし。
慌てて灰皿に押し付けたタバコに、恵美の視線が注がれていた。
「ずっと、吸ってたの?」
「いや、あー……うん、まあ」
「いつから」
「えー……去年……いや一昨年……かな」
だいぶ論点がズレちまった。
「……」
「いやほら、3日で1箱しか吸ってないし。全然少ないって……言っても駄目か」
最初の頃は、1日1箱だった。
部活で息が上がり易くなって顧問にバレそうになり、これでも減らしたんだけど。
「……そりゃ、タバコくらいみんな吸ってるかも知れないけど……」
「おまえに黙ってたことだろ? ……怒るに決まってるからさぁ」
「……隆太郎〜〜〜」
「はい、ごめんなさい。えー、なるべく減らします」
「そうじゃないでしょ!?」
「あ、駄目? じゃ、やめる方向で前向きに善処しますんで」
「全然やる気がなぁい!」
立ち上がった恵美が、いきなり俺の首に腕を回して締め上げた。
「うげっ! わ、分かった、悪かった、って。おい、ちょっと待て、マジで苦しいから!」
……その後、帰宅した麻子に『せっかく2人きりにしてあげたのに、何してたの?』と呆れられ、
『リュウのタバコ? 知ってたわよ。誰が掃除してると思ってんの』と言われたことは、
とりあえず恵美には黙っておこうと思う――。
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