6.

「――何を言ってるのか、よく分からないな」
そう呟いた僕に、ひとつひとつ言葉を拾い上げて選ぶように続けた。
「……上村さん、彼女は……たった1人しかいません。他の誰も、彼女の代わりにはなれません。
そんな大切な人を、あなたは失ったんです。それを悲しむのは、当たり前なんです」
黙って見つめ返す僕を、すがるように見上げる。
「ごめんなさい、生意気なこと言って。でも、分かって下さい。
……あなたの知ってる彼女を忘れないであげて下さい」
忘れるなんて、できるわけがない。
――けれど。
僕の中の春香は、本当にあの頃の春香なんだろうか。
無邪気に笑う、素直で明るい彼女なんだろうか。
「今の上村さんは、すごく自分を責めてます。それは、彼女を好きだからだと思います。
……でも。でも、それじゃ彼女が可哀想です」
何と言っていいのか分からなかった。
僕が今まで立っていた場所が、急に崩れたような気がした。
「……ごめんなさい」
小さく呟くと、僕の袖をつかんでいた手を離す。
僕はその手を軽く押さえて、立ち上がった。
「……分かった。ごめん、こんな話して」
真一文字に唇を噛みしめて、もう一度かぶりを振る。
「帰ろう、家まで送る」
歩き出した僕に、衿子は黙ってついてきた。
『大切な人を失ったことを、悲しんで下さい』
その言葉が、僕の中で回り続けていた。

誰もいない部屋に帰ると、電気を点ける気にもなれずに座り込んだ。
『それじゃ彼女が可哀想です』
僕は、春香を見ていなかったんだろうか。
自分のことにばかりとらわれて、春香の早過ぎる死を、認めていなかったんだろうか。
――認めたく、なかった。
信じなければ、事実が捻じ曲げられるものなら、そうしたかった。
「……春香」
『はるか』
結局一度も、口に出して呼ぶことはできなかった。
いつも、ずっと、胸の中で呼び続けてきた名前だった。
その名前が音になって耳に届いた時、僕の膝にひとつ水滴が落ちる。
僕は自分が泣いていることに驚き、春香が死んだことで一度も泣いていなかったことに気付いて驚いた。
「春香……春香……はるか……っ!」
両手で顔を覆って、僕は泣いた。
食いしばった歯の隙間からもれる嗚咽をかみ殺して、泣いた。
好きだった。
ずっと、好きだった。
その笑顔に、僕はいつも救われた。
ごめん。
何もできなかった。
想いを伝えることすら。
いつも、暖かさをもらうばかりで、何も返せなかった。
あの時呼び止めなければ。
もっと早く帰していれば。
ちゃんと家まで送って行けば。
ごめん。
好きだったんだ。こんなふうに会えなくなるなんて、思わなかった。
本当に、好きだったんだ。

夢を見ていたんだろう。
気が付くと僕は、真っ暗な中にひとりで座り込んでいた。
泣き疲れて頭がぼうっとし、頬が熱を持っている。
こんなのは何年振りだろう、と考えて、遠くにぼんやりと白い光が見えた。
目を凝らすと――そこに、春香がいた。
「――春香!」
思わず立ち上がった僕を、春香は黙って見つめている。僕は光に向かって駆け出した。
こんな夢を、見たことがあるような気がする。いくら走っても、足がもつれて先に進まない。
それでも今日は、必死に走る僕に、だんだんと春香の姿が近付いてきた。
手を伸ばせば触れられそうなほど近くに来て、僕は息を切らせて春香を見つめる。
「……俺……おまえに言いたいことがあったんだ」
僕を見上げた春香は黙っている。
「……ずっと、好きだった。1年の時から、ずっと。――今でも」
あの時こう言えたなら、どんな顔をしただろう。
「大学に入って、おまえに会えて、本当に楽しかった。おまえを好きになって、良かった」
また、涙がこみ上げてくる。僕は泣きながら、春香を見つめた。
「……俺のものにしたかった。斉木より、俺を選んでほしかった。
理美のことは好きだったけど、おまえほど好きにはなれなかった」
こんなことを言っても仕方ない。けれど、涙と一緒に言葉があふれて止まらなかった。
「何もできなくて、ごめん。これから――全部これからだと思ってたから
――おまえが逝っちまって、悔しくて……悲しいよ」
悲しい。本当に、おまえが死んでしまったことが、こんなにも悲しい。
「いろんなもの、たくさんもらった。……何も返せないけど、俺、忘れないから。
絶対、忘れないから――」
子供のように泣きじゃくる僕を、春香の瞳が暖かく包む。
「俺は、ここで生きていく。おまえを忘れずに、生きていく。――それしか、できないから」
やっとのことでそう言った僕に、春香は笑った。
僕がずっと見つめていたあの笑顔で。

「おはようございます」
いつもの声で、衿子は僕の机の横に立つ。
「――おはよう」
僕は振り返って、衿子を見上げて封書を受け取った。
少しの間黙って僕を見つめた衿子の瞳が、穏やかな笑顔に変わる。
ぎこちなく笑い返した僕に軽く会釈をして、他の机に向かって歩き出した。
僕も自分の机に向かい、仕事に戻る。
――僕は、ここにいる。君は、そこにいる。
それだけだ。
一緒に過ごした思い出は、その笑顔は、消えない。
君を忘れない。僕にくれた時間を、忘れない。
それが、僕が君にできる、ただひとつのことだから――。


〜fin〜



あと書きはこちらです。

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