自分の値段
いくつかの質問に答える形式で「自分の値段」が出せるというゲームがあった。
何億だか何千万だか、普段お目にかかることのない単位なので、
そんなもんかなあ、という感想しか持たなかった。
けれど、自分がいったいどのくらいの価値のものなのかということは、
誰でもどこか心の隅に抱えていることなんじゃないだろうか。
つらいことがあったり、人に迷惑をかけたりしてしまったときには、
自分の価値なんてこれっぽっちもないんだと思えてしまう。
実際行動することはないにしても、死んでしまったほうがいいと思うことも
生きているうちには何度もある。
でも、人から感謝されたり、人に感謝したいことがあると、
自分もここで生きていていいんだ、と思える。
そうなると、大暴落を遂げた自分の値段も、また上がっていくものだったりする。
昔、いじめにあっていた頃、私はそれこそ1円の価値もない生き物だと思っていた。
だからいじめられるんだと、思っていた。
以前に書いた、小学生のときの担任教師に言われたことで、
ひとつだけ正しいと思えることがある。
「人はひとりでは生きていけないんだよ」
こんな状態なら、自分をいじめる他人と関わるよりもひとりのほうが
何倍もましだ、と、その頃の私は思った。正しいことと思えなかった。
でも、と今は思う。
自分の値段が、人とどう関わっていくかによるものならば、
そこから逃げていた自分の価値を下げていたのは結局自分だったということ。
まわりの人達を大切に思うことで、自分も大切に思えるようになるということ。
あの言葉には「ひとりで生きてるあんたには価値がない」という意味しかないと
思っていたけれど、自分で自分の価値を下げていた私への警告にほかならなかった。
あの頃、気付くことはできなかったし、私の立つ位置を崖のふちぎりぎりに
追い詰めていった彼女のやり方を許すことはできないけれど。
少なくともあの言葉だけは正しかったと気付くことができたから。
これからも、自分の値段は自分の中で、上がったり下がったりすると思う。
こんな価値のない自分に、他人が関わることはいけないと思うことも、あるだろう。
それでも、その値段を決めるのは自分自身で、
他人を思いやることによるものだということは、忘れずにいようと思う。
そう思わせてくれる力を与えてくれた家族や友人に感謝する気持ちを
忘れずにいようと思う。
そういう気持ちを押しのけて、落ち込むときはあったとしても。
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