長いようで短かった試験が終わり、休みに入った。
あとは、部活に少し顔を出す他は、終業式と夏休みを待つばかり。
やっと解放されたような気分で調子良く仕事をしていると、机に頬杖をついた麻子と目が合った。
「ご機嫌ねぇ」
からかうように言って、にやにや笑っている。……やっぱり、何か聞いたのかしら。
「え、だって、試験終わったし。もうすぐ夏休みだし……ねぇ」
「ねぇ」
……確かに、この2人は兄妹なんだろうと思うわ。一緒に暮らしてると、似てくるのよね。
気をとり直してファイルを揃えていると、コココン、と軽いノックの音がして、隆太郎が顔を覗かせた。
途端に喉元まで飛び上がってきた心臓をなんとかなだめる。
――すぐに試験に入ったし、まともに顔を合わせるのは、生徒会室で話して以来初めてだった。
ファイルを抱えて固まっているあたしに気付いた隆太郎は
「……よ」
と片手を挙げる。
「あ、うん」
ぎくしゃくと頷くあたしと、横を向いて頬を掻いたりしている隆太郎を見比べていた麻子が、
にまあ、と人の悪そうな笑みを浮かべた。
……せっかく美人なんだから、そんな顔するんじゃないわよ、もう。
「お迎えですか? お兄様」
「あー、うん、まあな」
ごほん、と咳払いをして、
「まだ、仕事中か?」
と麻子に訊いた。
「いーえー。どーぞ連れて帰って下さいな」
歌うように言って、あたしのほうへ手を差し出す。……そんなにいじめなくたっていいじゃないのよ。
「いや、おまえも」
「え、あたし? ……まあ、そろそろ上がろうと思ってたけど?」
お邪魔はしないわよ? という顔で笑う麻子を軽く睨んでいると、
「全部、話したから」
いきなり隆太郎がそう言った。
「全部? ……ああ、そうなの」
……どうしてこう、心臓に悪い会話をするのかな、この人達は。
「あの、麻子……」
「ごめんね」
「え?」
「恵美、知ってたんでしょ? あたしとリュウのこと。それでずっと、気にしてたのね」
「……まあ、神崎のおっさんから、血のつながり云々の話は聞いちまったらしい。あとは、俺が話した」
「そっか」
明るく言って、にっこり笑う。
あたしは、その綺麗な笑顔に、何を言ったらいいのか分からなかった。
「もっと早く話せば良かったね。心配かけたくなかったんだけど、まあ、そんなわけなのよ」
「……うん」
隆太郎も珍しく、困った顔で黙っている。
「話してくれて良かったわ。恵美も元気になったし。もうすぐ夏休みだし。ね」
「――そうだな」
「……あ、あのさ!」
あたしは2人のそばに駆け寄って言った。
「ご飯食べて帰ろ。試験終わったし、打ち上げ! ね?」
「……恵美」
切なくて、優しい、少しお姉さんのような笑顔。
「よし、行こうぜ。ほら、さっさと片付けちまおう」
隆太郎が、ぽん、と手を打って、机の上のファイルを棚に運ぶ。
あたしは麻子と顔を見合わせて笑った。
――あたしに今できるのは、これくらいしかないけれど。
終業式の日、麻子の姿はなかった。
登校途中に時々会う隆太郎にも、今朝は会わなかった。
――麻子、風邪でもひいたのかしら。
昨日あたしはバイトが休みで、隆太郎と映画を観に出かけた。
その時は別に、何も言ってなかったと思うんだけど。
帰りに麻子の家に寄ってみようかな。
朝のHRが終わって、そんなことを考えながら授業の用意をする。
週休2日になったのはいいけど、終業式の日でも授業があるのは勘弁してほしいわ。
ため息をひとつついた時、教室の後ろのドアが勢いよく開いた。
――そこに、軽く息を切らせた隆太郎が立っていたので、あたしは思わず立ち上がりかけた。
いきなり私服の3年生が――しかも生徒会長が――
乱入した教室は、水を打ったように静まり返っている。
「恵美、一緒に来てくれ」
クラスのみんなが一斉に振り返る。あたしは中腰の姿勢のまま、金縛りに遭っていた。
「え、な、何?」
動かないあたしに、隆太郎がずかずか教室を横切って来て、あたしのカバンを取り上げる。
「あ、でも、あたしまだこれから授業――」
「悪い。早退」
そう言うと、机の上の教科書やノートをカバンに放り込んでそれを担いで、
そのまま先に立って教室を出て行った。
「あ、ちょっと、――隆太郎!」
しまった。
生徒会長を呼び捨てにしたあたしに、今度は教室の中が金縛り状態になっている。
息を呑んで見上げる目の中に梨佳の真ん丸い目を見つけて、
「ごめん、――風邪気味だから帰ったって、先生に言っといて!」
そう叫んで、教室を飛び出した。
昇降口の隅に、隆太郎が待っていた。
駆け寄ったあたしが口を開くより前に、
「……ごめん」
と謝られてしまう。
「――いったい、何事? ……麻子はどうしたの?」
「出て行った」
「え!? ……むぐ」
「バカ、大声出すな!」
あたしの口を塞いだ隆太郎の手が離れると、あたしは声を潜めて
「……どういうこと?」
と訊いた。
「歩きながら話す。……とにかく、これから心当たりを探すから、おまえも来てくれよ」
あたしは黙って頷くと、靴を履き替えた。
真っ直ぐに正門に向かいそうになったあたしの頭を隆太郎が小突いて、裏口に向けて歩き出す。
――私服とは言え、3年生と2人で堂々と授業中に正門から出て行けば、
先生に連れ戻されてしまうか。
錆びかけた裏門が軋んだ音を立てるのに冷や汗をかきながら、
学校の敷地を抜け出すと、息をついた。
あたしは胸のリボンをほどいて、カバンの中から私服の薄いカーディガンを出して羽織る。
「――用意がいいな」
「常識。着替えを駅のロッカーに置いとく子とかもいるけどね」
ちょっと得意そうに言うあたしに、隆太郎がため息をついた。
「……だったら、携帯出ろよ……」
「あ、かけたの?」
「かけたよ。行きたくて教室まで行ったわけじゃねぇからな」
そう言えば、マナーモードにしてあるんだっけ。
2年生の教室に乱入したことは、もう知れ渡ってるんだろうな。隆太郎は有名人だし。
――明日から夏休みで、良かった。
「それで? ……何があったの? 麻子が出て行ったって」
「ああ。親父のヤツ、帰って来やがった」
オヤジ。隆太郎のお父さん。つまり――社長が。
「いつ?」
「昨日。俺がおまえ送ってって、帰ったら家にいた。そこに麻子も仕事から帰って――」
どうやら隆太郎のお父さんは、麻子のお母さんを亡くしたショックから、
立ち直れていなかったようなのだ。
自分より麻子を立ち直らせることに一所懸命だったらしく、麻子が無事に高校に入ると、
気が抜けたようになって、仕事に身が入らなくなっていたということだ。
「――だからあいつは、自分のせいだと思っちまって、時々親父の仕事を手伝いに会社に出てた」
麻子のほうが、社長秘書のようなことをやってたんだ。
「まあそんなわけで、4月の終わりに親父が出て行って、麻子が代理になった。
俺より、仕事のことは分かってたしな。――でも俺は――反対だった」
自分に負い目を感じて、お父さんの仕事を手伝っていた麻子。
家のことなど気にせずにいてほしい隆太郎は、麻子が社長代理になることが心配だった。
「……案の定、あいつはちょっと無理してたし、親父が戻って来たら、
自分の役目は終わったとばかりに出て行きやがった。――どこまで馬鹿なんだかな、まったく」
麻子が社長になる時に出した案が、友達に手伝ってもらう、ということだったらしい。
「一緒に仕事してほしい子がいる。その子と一緒になら、負担にならないからって言ってたよ」
それが、あたし?
……ああ、だから隆太郎は、あたしがバイトすることになった時に不満そうな顔してたんだ。
たとえばあたしが仕事を断ったら、それを理由に麻子を止めることができたかも知れないから。
「……ごめんね」
「あ? おまえが謝ることじゃないだろ。
――俺も、それで麻子の気が済むならやらせてみるしかないと思ったし」
こんな話をしながら、麻子の行きそうな店や遊びに行っていた街を探して歩いたけれど、
見つからなかった。
昼時になって、ファミレスで食事をしながら作戦を練る。
「……ねえ、麻子の彼氏って人は? 何も知らないの?」
「真っ先に連絡したよ――そいつもいないから、焦ってんじゃないか」
「まさか、駈け落ち!? 親子2代で!?」
「……それはないと思うけどさ。朝起きて来ないから見に行ったら、ボストンバッグがひとつ消えてた。
さすがにタンス開けて着替えの量を確かめるわけにもいかなかったけど、
多分そんなに多くは持って出てないと思う」
そりゃま、麻子の服や下着の数を把握してたら、ヤバイでしょうが。
「あの野郎、一緒になって学校休むことないだろうに……」
「え、麻子の彼氏、うちの学校の人なの?」
やぶへび。そういう顔をした隆太郎が、ひとつ息をつく。
「あー、まあ、な。……あとは、おまえ以外に特に親しい友達って、知らないんだよなぁ」
麻子は誰にでも優しいし、みんなの人気者だ。
でもどこか他人と距離を置いている感じで、特別仲のいい友達っていうと、思い当たらない。
「いるとすれば、あいつがうちに来る前にいた横浜か……」
そこまで言って、はっとしたように持っていたコーヒーカップを皿に戻す。
「横浜だ――なんで今まで思いつかなかったんだ。馬鹿だな、俺は」
舌打ちをして、伝票をつかむ。
「恵美、もういいか? 行くぞ」
「あ、うん。――横浜? なの?」
「と、思う。他に思いつかないし、行ってみる」
「横浜の、どこ?」
そう訊いたあたしを少しの間見つめてから、どこか悲しそうな顔をした。
「麻子の――俺の――母親のいるところ」
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