電車の中ではなるべく離れて立ち、家の近くの駅に着くと、もうバスは無かった。
「どうする? タクシーつかまえるか?」
「いいわよ、そんな贅沢な。歩いても20分くらいだから。ここでいいです。ありがとう」
「おいおいおい」
すたすたと歩き出したあたしを、隆太郎は慌てて追いかけて来た。
「ここから1人で帰したら、俺が来た意味ないだろが」
「大丈夫だってば。このぐらいの時間に1人で帰ったこともあるし」
「……ずいぶん嫌われたな」
そう言って苦笑する。……さすがにちょっと、言い過ぎたかしら。
「そういうわけじゃないけど……」
「痴漢するような男だし?」
うぐ。それを言われると。
まるで確信はないと言うか、おそらくはあたしの勘違いだもんな。
「いえ、それはもう、いいです。……違うんでしょ?」
「違うねぇ」
「すいません。あたしの誤解でした。ごめんなさい」
素直に頭を下げると、隆太郎は少し足を緩めた。
「認めちゃっていいわけ?」
「……と、思う。痴漢じゃなかったかなとも思うし、少なくともあんたじゃないだろうし」
「そのココロは?」
「『そんなくだらねぇこと』しないでしょ?」
「……へぇ。一応少しは信用してくれてるわけだ」
「麻子の兄さんだし」
「なるほど」
「生徒会長だし」
「ふんふん」
「仕事手伝ってくれるし」
「ほうほう」
「……あんたやっぱりあたしのこと馬鹿にしてるでしょう」
「へえへえ。……いや、待て、冗談だ、殴るな」
こぶしを振り上げたあたしを見て後ずさりながら笑う。
いったい、どういう人なんだ、こいつは。
……そう言えば。
「ねえ、あんたってうちの3年生なのよね」
「だから何だよ」
「で、生徒会長なのよね?」
「まあ、前期だけな」
うちの生徒会は半年で任期が終わる。
文化祭まで務め上げると、3年生は受験に専念するために引退だ。
「……やっぱり、先輩とか呼ばないとまずい……ですよね?」
おそるおそる見上げたあたしを、軽く口を開けて見下ろした隆太郎は、ぶは、と笑い出した。
「あ、あほかおまえ。今までさんざん『あんた』だの『こいつ』だの呼んどきながら」
「……だって、そう呼ばれるような行動ばかり取ってる――じゃないですか!」
「いきなり敬語使うなよ、気持ち悪い」
「うー、えー、でもなんか気が付いたら『あんた』じゃまずいような気がしてきた」
頭を抱えるあたしに、隆太郎はまだ笑い続けている。
「いいよもう。俺も時間のある時はなるべく手伝いたいんだし、会社で『先輩』もないだろ。
……一応、学校で会ったら『先輩』でも『木元さん』でも『会長』でも好きに呼べよ」
そりゃまあ、学校の廊下であんた呼ばわりはさすがにできないだろうな。
「じゃ、普段は?」
「それも、好きなように呼べば?」
麻子みたいに『リュウ』って呼んでみたい気もした。
でもそれは、入るべきでない場所に踏み込むような居心地の悪さを感じて嫌だった。
「……じゃ、適当に呼ぶ」
「どうぞ。んじゃ俺は、『恵美ちゃん』にでもするか?」
「ぎゃー! やめてよもー! そっちのほうが気持ち悪いってば!」
声を上げて笑う背の高い影を見上げたあたしは、
いつの間にか隆太郎が車道の側を歩いてくれていたことに、気が付いた。
昼休みの教室は窓から射す陽射しが暖かくて、みんな思い思いにおしゃべりをしたり、
こっそり持って来たお菓子をつまんだりと、のんびり過ごしていた。
窓際の席で机にもたれた麻子は、すやすやと寝息を立てている。
――疲れてるんだろうな。
授業中にも何度か舟を漕いでいて、あたしに突付かれたり先生の咳払いで目を覚まして、
文句を言いたそうに睨んでいる先生に、にっこりと微笑んでいた。
そうすると、先生のほうが困ったように目をそらして、何事もなかったように授業が再開される。
ほんとに、美人は得だよ。
ため息をついたあたしにも気付かず、麻子は眠っている。
最近、あたしが帰る時間になっても麻子は仕事を続けていて、
神崎さんに送ってもらって帰っているようだ。
で、あたしは――何故かいつも隆太郎に送ってもらっている。
一応受験生だし、仕事を手伝いに来るのは週に1、2回だけど、
あたしが帰る頃になるとふらっとやって来て、
そのまま一緒に帰る日が続いていた。
――あたしより、麻子のほうを心配したほうがいいんじゃないのかな。
麻子の髪を透かして差し込む陽射しに目を細めながら、あたしは立ち上がって廊下に出た。
――『生徒会室』黒板に白いペンキで書かれたドアプレートが重々しい。
そっと中を伺うと、会議机に足を投げ出して座っていた隆太郎が顔を上げた。
「えーと、あの、先輩、木元さん、会長」
「……どれかひとつにしろ」
「今、1人?」
「見てのとおり」
肩をすくめて、狭い部屋の中を示す。
「仕事中じゃない?」
「そう見えるか?」
全然見えません。
机の上には読みかけの漫画雑誌。コーラの缶。――大丈夫か、うちの生徒会は。
「んで? 何か用?」
「……麻子のことなんだけどね」
あたしは、麻子が時々居眠りをしていること、
疲れているようなのに遅くまで会社に残っていることを話した。
「家ではどうなの? お母さんとか、心配してない?」
「……いや、それはないけど」
少しの間あたしの顔を見つめて何か考えていた隆太郎は、大きくため息をついた。
「おまえが心配してるのは分かった。麻子には、無理しないように俺からも言っとく」
「うん。そうしてくれるといいけど……麻子の仕事、もう少しなんとかならないかな」
「今は、ちょっと忙しいとは思う。引継ぎもなくいきなり社長代理じゃな」
「……隆太郎……先輩が、少し手伝ってあげたらいけないの?」
「前にも言ったけど、それはうちのルールに反するっつうか……まあ、いろいろあって」
やっぱり、あたしには入り込めない部分があるんだな。――少し、寂しくなった。
「話は分かった。あんまり心配すんな」
おまえはこれ以上踏み込むな――そう言われているのかも知れない。
麻子の仕事は事務所でやることが半分、外に出て取引先の人と会ったりするのが半分、て感じだ。
あたしは雑用とお留守番が多くて、今日も1人で机に向かって書類の整理をしていた。
副社長をやってる現社長の弟の木元さんと、専務の神埼さん以外、
ここの会社の人とはあまり話をすることもない。
そりゃまあ、高校生の社長とその秘書となんて、話す必要もないだろうけど。
あたしは詳しい話を聞かせてもらえてないので分からないけど、
どうやら副社長っていうのがクセモノのようだ。
現社長が失踪してる今、当然自分が社長になるものだと思っていたら、
娘っていうのが出てきてしまった。
しかも、息子と娘に『会社を頼む』という書置きを残して行ったらしいから、
正式に委任されたとして麻子が社長代理に就任してしまった。
それが面白くないらしく、早いところ自分にお鉢が回ってくるようにいろいろやってるらしいのだ。
全部、専務の神埼さんからの受け売りなんだけどね。結構おしゃべりオジさんなのよ、あの人。
麻子の味方をしてくれるのはいいんだけど、今いち頼りないというかなんというか――。
と、ノックの音がしてドアが開いた。
「あ、社長はお出かけですか?」
噂をすれば、で、神崎さんが書類の束を抱えて立っている。
「はい。もうすぐ戻ると思いますけど――」
「じゃあ、すみませんがこれを渡しておいてもらえませんか?」
「分かりました。お預かりします」
書類を受け取って麻子の机に向かうあたしに、神崎さんが話しかけてきた。
「社長はお若いのに――本当によくやっておいでですよね」
「ええ、そうですね。……でも、あまり無理しないように神崎さんからも言ってやって下さい」
「遅くまで残っていらっしゃいますからねぇ。私も、いくら恩のある方だって、
そこまですると体を壊しますよ、と申し上げたんですがね」
……恩のある方?
あたしが返事をしないでいると、しみじみと頷きながら話を続ける。
「まったく。社長と――ああ、隆太郎さんのお父さんのことですが――
麻子さんのお母さんが再婚されて、
たった半年で奥様が亡くなられて、
身寄りのない麻子さんを引き取って下さったのは社長ですからね。
ご恩返しをしたいという気持ちも分かりますが、まだ高校生ですし、学業に差し障りがあっても――」
その先の言葉は、あたしの耳には入って来なかった。
話が終わると神崎さんは、ではよろしく、と言って部屋を出て行ってしまう。
――麻子は、木元の家とは血のつながりがなかったんだ。
それが麻子に無理をさせ、それだから隆太郎もあまり口を出さない。
あたしはまだ帰らない麻子がもうすぐ開けるはずのドアを、思わず振り返った。
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