放課後、とりあえず詳しい話をするからと言う麻子について行って、少し先の駅に近いビルに着いた。
まあ、普通の雑居ビル。クリーム色の外壁の、10階建てくらいの割と新しい建物だった。
「ここの5、6階なんだけどね」
言いながら自動ドアをくぐる麻子に続いてビルに入る。
「なんの会社?」
「不動産」
一言で片付けて、6階で降りる。
真っ直ぐに向かったドアは……社長室。
「ちょ、ちょっと麻子。いきなり社長室なんて行ってどうすんのよ」
「平気よ。今誰もいないから」
「は? ……だったら余計に行ってもしょうがないんじゃ」
麻子はなんの躊躇いもノックもなくドアを開け、
「あら、なんだ。いたの」
と言って笑った。
あたしが麻子の後ろから首を伸ばして見ると――そこにいたのは、今朝の痴漢男だった。
「――あ、な、なんで!?」
「……そりゃこっちのセリフ。なんであんたがここにいるんだ」
「まあまあ。とにかく入って入って」
あたしは麻子に背中を押されて、机の前の応接セットのソファに座らされた。
壁にもたれて立ったままの痴漢男は、不機嫌そうに麻子を見る。
「まさか、こいつがそうなのか?」
「そう。この娘がそうなの」
な、なに? 何がそうだっていうのよ?
キョロキョロしているあたしに、麻子はにっこりと笑いかけた。
「えー、こちらが杉浦恵美さん。あたしと同じ2年D組の生徒です。
で、こっちが木元隆太郎。3年A組。うちの生徒会長ですね」
あ、そうだったっけ。それで生徒会室――いや、それよりも。
「……木元?」
「そ。私、木元麻子のオニイサマです」
口を開けるしかないあたしに対して、壁ぎわの痴漢男――隆太郎は、うんざりした顔で横を向いた。
「ほ、ほんとに?」
「ええ、一応。そういうことになるわよね?」
「……そうなんじゃねぇの」
ため息をついて、床に目を落とす。
「ほら、リュウもこっち来て座ってよ。恵美にはちゃんと頼まないとならないんだから」
リュウ。
お兄さんのことそう呼んでるんだ。1人っ子のあたしにはなんとなく羨ましい響き。
「えー、それでですね。事情を簡単に説明しますと、ここの社長は現在行方不明です」
いきなりそう言った麻子のセリフは、あたしの耳の上をすべっていった。
「……は?」
「おまえそれ、簡単すぎ」
あたしの向かいに麻子と並んで座った隆太郎に突っ込まれて、麻子は肩をすくめた。
「だって、何が原因かも分かってないんだし。ここから始めないとしょうがないでしょ」
あたしに頼みたいのは社長秘書だって言ってたけど、社長がいなきゃどうすんのよ?
「それでね、社長が見つかるまでの間――ヘタしたらこのままずっとかも知れないけど、
社長を務める人がいないとならないわけ。それが、あたしです」
「は?」
麻子が、社長?
「だって、学校は?」
「行きますよ? とりあえず副社長と専務に実務はお願いできるから、あたしはブレインね」
「えっらそう」
口の端で笑う隆太郎を無視して、話を続ける。
「でも、学校が終わってからと土曜日には出社して来ようと思って。そうなるとあたしを
手伝ってくれる人が必要になるのよね。雑用とかが主になってしまうけど」
「……それが……」
「そう。恵美に頼みたいんだけどな。条件はさっき言ったとおり」
一応お給料もくれるらしくて、さっき聞いた金額は――普通にバイトする時給の倍くらいだった。
……それに惹かれてついて来たってのもあるんだけど。
「でも……どうして麻子が?」
それに、このお兄さんってのがここにいるのはどういうわけ?
「それは、行方不明の現社長が、あたし達の父親だからなんです」
他人事のように言ってにっこり笑う麻子は、やっぱり綺麗だった。
コピーを終えた書類をまとめて、ゴムのサックを嵌めた指で紙を刳る。
枚数を確認して、端をそろえて、順番にファイルに綴じていく。
――こういう単純作業に、あたしは向いているのかも知れない。
どうせいつかはこういう仕事をすることになるんだろうし、いい練習かもな。
時給もいいし、上司は友達だし、ものすごくラッキーかも。
……こいつさえいなければ。
「あんた今、なんでこいつがいるんだろうって思ったろ」
どういうわけか隣の机で同じように書類をまとめていた隆太郎が、こっちを見もせずに言う。
「……」
「図星だな」
そのまま仕事を続ける隆太郎に、あたしは椅子を回して向き直った。
「ねえ、ほんとになんでここにいるの?」
「おお、素直じゃん」
「……それ、褒めてんの?」
「そう思っとけば? ……一応、俺も無関係ってわけじゃないから。
時間がある時くらいは手ぇ貸したっていいだろ」
そう、言ってみればこっちが『跡継ぎ』なんじゃないの? 長男でしょ。
麻子にそう訊くと『リュウは受験生だし』で済まされた。……そういう問題なんだろうか。
「手伝うなら、麻子の仕事にすれば?」
「あいつにはあいつのやり方がある。麻子が社長代理に決まった以上、余計な手は出さない」
「で、あたしに手を出すわけ」
「手ぇ出してほしいのか?」
……そういう意味じゃなぁい!
あたしが赤くなって口をパクパクしてるのを見て、隆太郎は軽く眉を上げて笑う。
「――あんた、男に免疫無さそうだとは思ってたけど、面白いくらい無いな」
「わ、悪かったわねぇ! からかいに来たんなら帰ってよ!」
「まさか。俺は仕事しに来てるから」
それだけ言うと、あとは黙って仕事に戻る。
……これが、うちの生徒会長様ですか。
「たっだいまーっと」
外回りを終えた麻子が元気良くドアを開けてくれたおかげで、
あたしは母校の行く末を案じることから免れた。
「あ、お帰りなさい。お疲れ様」
あたしがお茶を淹れに立つと、隆太郎が低く口笛を吹いた。
「気が利くねぇ、さすが社長秘書」
完全に無視してお茶を淹れると、麻子が笑い出す。
「もう、リュウったら何しに来てるのよ」
「そりゃ、仕事手伝いに」
「恵美で憂さ晴らししてない?」
「ああ、それもあるかもな」
やめてよもー、2人して人をおもちゃにするのはっ!
あたしは無表情に徹して、麻子の前にお茶を出す。
「あれ、俺のは? 秘書サン?」
「……麻子はあたしの上司。あんたはあたしのお手伝い。自分で淹れなさいよ」
「おわ。おーい麻子、おまえの秘書態度悪ぃぞ」
「あんたのがよっぽど悪いでしょうが!」
「はいはいはい。そこまでね。あとはあたしがやるから、恵美も一息入れてよ」
気軽に立って、お茶を淹れてくれる社長。……いいんだろうか。
「ああ、もうこんな時間なのね。お茶飲んだら、恵美はもう帰ったほうがいいわよ」
夜8時を過ぎてる。
バイトのことは、麻子と一緒に両親に話したら、2つ返事でOKをもらった。
もちろんと言うか、麻子が社長なことは話していない。
麻子の家が会社をやっていて、その事務処理を手伝うということにしてあるのだけれど、
いい社会勉強だし、何よりうちの親は麻子を信頼してるし(ファンとも言える)、
行って来い、と言われたほど。
学校が終わるとこのくらいになってしまうのは仕方ないのよね。
「麻子は? まだ帰らないの?」
「うーん、今日はもうちょっと片付けたいことがあるのよね。大丈夫、神崎さんに送ってもらうから。
恵美はリュウと一緒に帰って」
神崎さん、というのは専務さんだ。
行方不明の社長に恩があるとかで、隆太郎にも麻子にも、
ついでにあたしにも優しくしてくれるオジさん。
いつもは遅くなると神埼さんが車であたしと麻子を送ってくれるんだけど――。
「いい、1人で帰る」
「駄目よ。恵美の家、駅から遠いじゃない。危ないわ」
「もっと危ない目に遭うよりまし」
「そりゃ俺のことか?」
他に誰がいるんですか。
「ひでーなー。俺そんなに飢えてないし、ロリコン趣味もないし」
「な、なんでロリコンよ! 16歳の乙女をつかまえて!」
「つかまえてねーっての。オトメってなんだよ、それ」
「辞書引きなさいよ!」
「はいはーい、もう遅いですからね、帰り道でケンカしたら近所迷惑ですよ。静かに帰りましょうね」
麻子がパンパンと手を叩いて、カップを片付け始める。
「あ、あたしがやるから」
「いいから。ほんとに遅くなっちゃうし。リュウは信用して大丈夫だから、送ってもらって」
あたしのカバンを渡してくれる麻子は、穏やかに微笑んでいて絵になるけれど。
……こいつのどこをどう信用したら大丈夫だって言うんだろうか……。
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