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truth 〜もうひとつの決心〜 |
4.
「もう、分かってるんじゃないかと思うけど――俺達のことは」
床に手をついて起き上がった倫が、戸惑った瞳を上げる。
「1年半くらい前からかな――付き合ってた。恋人として。
だから――今おまえが見ている俺と、今まで一緒にいた俺とでは違うのかも知れない」
どちらが本当の僕なのか。そして、どちらが本当の倫なのだろうか。
「おまえに記憶があった最後の日――俺は、おまえと別れようと思った」
事実だけを、伝えたいと思っていた。
僕達に何があったか。今の倫が知らない2人が、どういう状態だったか。
「嫌いになったわけじゃない。ずるい言い方だけど……やっぱりおまえを嫌いになんかなれない。
でも――あの時はいろんなことが噛み合わなくて、すれ違って――疲れてたと思う。互いに」
倫の手が微かに震え出す。僕はその手をそっと押さえて、話を続けた。
「だから今、ここにいるおまえと別れられるかと言えば――できないんだよ、俺は。
それでも、全部なかったことにして何も覚えてないおまえと新しく始めるのが正しいのか――分からない」
少し考えたあとで、僕は倫の手を取って握った。――冷たい手だった。
「あの時は分かったようなこと言って、会わないことに決めたけど……
おまえから別れることを言われてたら、きっと必死になって引き止めてたんだろうな」
情けないよな、と続けようとした僕に、倫が口を開いた。
「……私から言えば良かったのかも知れないね」
「え?」
「そしたら瑞輝は、追いかけてきてくれたのかな。私が必要だって思ってくれたのかな」
「……多分、そうだと思う」
苦笑した僕に、倫も小さく笑う。
「そうね。だってあの日は――」
言いかけた倫が息を呑む。
僕のまわりの空気が一瞬凍りついた。
「……9月14日。――セプテンバー・バレンタイン――だよな」
僕の手をほどいて俯いた倫の肩に手をかける。
「……思い出したのか?」
肯定も否定もせずに瞳をそらす倫の視線を追いかけた。
「――違うな。今思い出したんじゃない。おまえは――知ってたんだ」
震える倫の肩をつかむ手に、知らずに力をこめていた。
「そうだろ? 最初から記憶なんか失くしてなかった――」
「違う」
顔を上げた倫が僕の目を見上げる。
「――思い出せなかった。あなたのことも、お母さんや友達のことも、自分のことも――。
退院して、いろんな話を聞かされても、自分のことだと思えなかった。――怖かった」
「いつ思い出したんだ」
「瑞輝がうちに来てくれた時、何か――分からないけど、何か感じてた。
あなたのそばにいたくて、話がしたくて――そうしているうちに、だんだん思い出してきたの」
「……俺も少しは役に立ったわけだ」
「そんな言い方しないで」
「お母さんは、知ってるのか」
強い口調で言った僕に、倫は首を横に振った。
「倫」
叱られる子供のように、小さくなって俯く。僕は再びその肩をつかんで顔を上げさせた。
「自分がしたことが、いいことかどうか分かるよな? ――お母さんや友達に、どんな思いをさせてたか」
「……ごめんなさい」
揺れる瞳を僕に据えて、もう一度
「ほんとに……ごめんなさい」
と言って、両手で顔を覆った。
「……どうして、黙ってた」
「――あなたが、ほしかったから」
「何?」
「全部思い出して、あの日に言われたことも思い出して……怖くなったの。
今は、何も分からない私だから一緒にいてくれるけど、思い出したら――きっと、会えなくなる」
「……俺のせい、か」
「そうじゃない。私の、わがまま――分かってるの。こんな状態のままで続くわけがないって。
いつか、全部分かって、本当に離れていってしまう時が来るって……。
それでも、もう少しだけ一緒にいてほしかった。何もこだわらずに、そばにいたかった」
泣き出すかと思った。
けれど、関節が白くなるほど強く両手を握り締めた倫の瞳に涙はなかった。
「今ここにあるだけの、いつか消えてなくなる真実でも――あなたがほしかった」
僕は立ち上がってコートを取り、車のキーを手にした。
「行こう――送ってく」
「……瑞輝」
「俺のことより、おまえはまず家に帰って――お母さんに話さないとダメだ。そうだろ?」
苦しげに頷いた倫が、コートを羽織って立ち上がる。
黙ったままで部屋を出て、隣の駐車場にある車に乗り込んだ。
エンジンが暖まるまでの間、倫の言ったことを考えた。
どうしようもなく、素直な言葉。
そばにいたい。あなたがほしい。それ以外の真実は、いらない。
「――どうして、俺なんだ」
「……どういう意味?」
「おまえには、同じくらい真っ直ぐで素直な、もっと身近な存在があるのに」
「……橋本君のことを言ってるのね」
「いや……彼だけじゃないけど」
「前に一度、付き合ってくれって言われたわ」
「……そうか」
「でも、もちろん断った。そのあとは普通に友達付き合いしてたけど、私がこうなって……
思い出せるようにいろいろ話してくれて、あちこち連れて行ってくれて」
ため息をついた倫が微笑う。どこか自嘲的な笑顔で。
「さすがに申し訳なくて、それに少し負担にもなって、そっとしておいてって言ったの。
そしたら――もう思い出さなくていいって言われたわ」
腑に落ちない顔をした僕を見て、瞳を伏せる。
「何も覚えてないなら、また新しく今から自分を見ていてほしいって。
それは――私の思ってることと一緒だった」
「……」
「何もなかったことにして、新しく自分を好きになってほしいなんて……思った。
子供だってことは、分かってる。取られた玩具を取り返すために泣いて駄々をこねてる」
「……俺もそうだよ」
「え?」
「俺も、いろんな理由をつけて、駄々をこねてるようなもんだ。
結局――おまえを失うことに決心がつかない」
車の暖房がまわり始めて、ガラスを曇らせていく。
静かに閉じられていく空間は、少しづつ僕を素直にしてくれた。
「答えは出てるんだ――俺も、おまえがほしい」
その言葉を口にすると、僕の胸の中が不思議と凪いでいった。
透き通った暖かいものが広がっていくような気がして、大きく息を吐く。
黙って僕を見つめる倫のほうを向いて、笑った。
僕に笑い返そうとして、堪えきれずに泣き出した倫の右手を軽く叩いて、ギアをドライブに入れる。
ブレーキペダルから足を離して、ハンドルを切る。
――僕が出した答えの、その先へと。
そして僕は、ゆっくりとアクセルを踏み込んだ。
あと書きはこちらです。
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