truth 〜もうひとつの決心〜 |
3.
12月になった。
街はクリスマス1色に塗り替えられ、夜ともなればあちこちで競うようにイルミネーションが灯る。
この季節の街を歩くのが、好きだった。
みんながどこかで誰かを幸せにしたくて、誰かの帰りを待っている。
倫と並んで歩いて、イルミネーションを見上げて微笑み合える季節が、またやって来た。
――倫は、相変わらずだった。
何を話してもピンと来ない感じで、僕以外の人を警戒する。
1人で出かけたりなんて、とても無理そうだった。
僕が訪ねて行けば、すぐに笑顔を見せる。
一緒に外を歩けば、楽しそうに話をする。
どうしてだろう。
僕はいつの間にか、今の倫に会うのが楽しみになっていた。
2人で過ごした時間も、出会った時の想いも、覚えていない。
それでも――それなら、また新しく始めることができるのかも知れない。
このまま、何にもこだわらずに、一緒にいれば。
――会社の帰り、いつものように倫の家に電話をかけると、倫の母親が出た。
「あ、藍田さん――あの子、今日は出かけてるんですよ」
……出かけてる?
心なしか嬉しそうな声に、僕は疑問符で応えた。
「1人でですか?」
「いえいえ。なんか、学校のお友達が来て――何度か訪ねて来てくれてて、
あの子もだんだん打ち解けて。今日は少し外を歩いてみるって」
駅前の華やかな電飾を見上げて、僕はその名前を口にする。
「橋本君――ですか」
「ええ。学校のそばで偶然会ったんですってね。他のお友達にはとりあえず知らせずにおくから、
記憶が戻るように協力したいって言ってくれて」
「……そうですか、なら良かった」
良かった。
そう言ってしまえばそれでいい。
僕は物分りのいい大人の顔で電話を切った。
「お? 残業か?」
声をかけてきた矢部に顔を上げて、僕は苦笑する。
「ああ。――ちょっとこれだけ仕上げないと」
「そうか。遅くなると、倫ちゃんが寂しがるぞ」
軽くからかうような口調で言って、自分の机のまわりを片付け始めた。
矢部には、倫の体調がまだ思わしくなく、休学して自宅で療養していると言ってある。
僕があまり遅くまで会社に残らず、付き合いに参加するのも少なくなったので、説明しておいた。
「調子はどうなんだ?」
「うん、まあ――無理しなければ大丈夫みたいだよ」
「大変だったなぁ。若いからすぐ元気になるだろうけどな」
「……そうだな」
実際、ずいぶん倫は元気になった。
明るい表情が増え、冗談を言って笑ったりもする。
僕に向かってくる真っ直ぐさも、変わらない。
けれど僕は――少し距離を置き始めていたように思う。
時々訪ねてくる橋本と、楽しそうに話す倫。
彼の気持ちを知ってか知らずか――そこにいるのは、当たり前の学生同士だ。
僕がいるよりも、橋本と2人で話す時間のほうが、倫のためかも知れない。
そう思ううちに倫の家から足は遠のき、電話もあまりかけなくなった。
――結局、こういうことなのかな、と思う。
倫のそばにいるには、僕は余計なことを知りすぎた。
すべてが真っ直ぐに、白と黒に分けられるものではないこと。
ただ好きだから、ただこうしたいからと、行動していいものではないこと。
そんな僕といても、倫は――幸せとは言えないのじゃないだろうか。
1人になった部屋で、仕事の手を止めた僕は窓の外を見下ろす。
繁華街から離れた会社のまわりにも、小さな電飾は飾られていた。
倫の今年の夜は、誰と過ごすのだろう。
ふいに、倫と橋本の笑顔が浮かんで、僕は唇を噛んだ。
これでいい――いや、そんなのはイヤだ。
僕の中で2つの声が、同時に叫ぶ。
どちらが正しいのか、誰が決めるのだろう。
大学に入る時に実家を出て、都内に部屋を借りた。
就職して一度引っ越して、一人暮らしも10年近くなる。
灯りの消えた部屋に帰るのもいい加減慣れたけれど、
こんなに寒いクリスマスイブには、やっぱり誰かにいてほしくなる。
記憶を失くす前、倫はよくうちに来て僕の帰りを待っていた。
ドアを開けた時の笑顔と、夕食の匂いと。
――そのまま閉じ込めてしまうことを、どうして選ばなかったんだろう。
アパートの階段の下に白っぽい人影が見えて、僕は足を止める。
「……倫?」
白いコートを着た倫が、1人で立っていた。
「どうした。1人で来たのか?よくここが分かったな」
「……お母さんに教えてもらったの。……瑞輝に、会いたくて」
一気に胸がつまった。
それを悟られないように、明るい声を出す。
「そうか。ちょっと忙しかったから、ごめんな。寒かったろ。おまえ鍵は――」
倫に渡した合鍵のことは、きっと覚えていない。
「――いや――ずいぶん待ったのか?」
小さく首を横に振る倫が、少し震えていた。
「寒かったよな。風邪ひくぞ、中に……」
部屋に入れていいんだろうか。
このまま倫の家まで送っていくほうがいいんだろうか。
躊躇う僕のコートの袖を、倫がつかんだ。
「……瑞輝」
「ん?」
「……」
倫の瞳から、涙がひとつ地面に向かって落ちていく。
僕は黙って倫の背中を軽く叩くと、ドアの鍵を開けた。
紅茶を入れて向かい合って座ると、何を話せばいいのか分からなくなった。
週末には遊びに来て、掃除や洗濯をしてくれた。
いつも自分の部屋のようにくつろいでいた倫が、かしこまって座っている。
「――どうした? 彼とケンカでもしたのか?」
「彼?」
「ああ、橋本君だっけ。よく会うんだろ?」
「……同じクラスの友達だったらしくて、心配してくれるから……でも、ケンカなんかしない」
「そっか。じゃあ……」
「橋本君とケンカなんか、するわけない。そんなんじゃない。私は……」
顔を上げた倫が、僕の目を見つめる。
言葉を選ぶように揺れていた瞳が、真っ直ぐに据えられた。
「私のこと、嫌い?」
「そんなことないよ」
笑ってみせたけれど、倫の瞳に落ちた翳りは消えない。
「……好きだよ」
その言葉が水滴のように、僕の胸に落ちて広がる。
好きだ。嫌いになんてなれない。困ったり、迷ったり、それでも。
「やっぱり、俺は――おまえが好きだよ」
「……私、も」
僕の目を見つめたまま、倫の頬に涙がこぼれる。
それを拭いもせずに、膝に置いた手を握り締めた。
「瑞輝が好き。……なのに、この頃どうして会ってくれないの」
「それは……」
くだらない、嫉妬だ。
そんなことは分かっていた。
年の近い橋本のほうが、倫のいる世界を正しく理解して一緒に前に進めるなんて。
何も決められない自分への、言い訳に過ぎない。
「……おまえが、俺といて本当に楽しいのか、俺が必要なのか、迷ってた」
なんて、偽善に満ちた言葉だろう。
結局は倫に結論を押し付けていることを、ごまかしているだけなのに。
「おまえはいつも真っ直ぐで、一所懸命で。それが時々重くて……でも、
結局俺は、おまえのそういうところが放っておけなくて……」
愛しくて。
最後の一言を飲み込んで、倫の瞳を見つめ返す。
――つい、記憶がないことなど忘れて話していた。
「ごめん。こんなこと言われても、分からないよな」
そうだ。今の倫は、僕に会って間もないはずなんだ。
一緒に過ごした朝も、言い争った夜も、僕だけのものなんだ。
新しく始めるなんて、都合のいいことが許されるのか。
何もなかったことになんて、できるんだろうか。
「……それでも、私は、あなたが好きよ。――それだけは、分かる」
「そんなこと言っちゃって、いいのか?」
少し冗談めかして、カマをかけるような言い方をした。
黙って頷いた倫が手を伸ばして、僕の頬に触れる。
涙に揺れる瞳に、小さく震える唇に、吸い寄せられる。
僕は倫の髪に触れ――軽く唇を合わせた。
すぐに離れた僕に、イヤイヤをするように首を振って、倫が僕の袖にしがみつく。
今までの2人と、今の2人の違い。
倫の瞳に映る僕は、正しい答えを出せるのか。
そういうすべてを押し流して、僕は倫の肩を引き寄せ、もう一度唇を重ねた。
確かめるように深く、長く。
意識の外にあった2人のリズムが重なる。
そこにあるのは、まぎれもなく僕の愛した倫だ。
ゆっくりと床に横たえた倫の、すがるような瞳。
僕はその上にそっと覆い被さって――動きを止めた。
「……瑞輝?」
「――ごめん」
体を起こした僕は、倫の頬に残る涙を拭った。
「今は――抱けない。やっぱり、それだけは、できない――」
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