硝子
気がつけば、どこをどうやっても大人と呼ばれる年齢になってしまっている。
なんだけど、いまだに「大人」ってなんだろうなぁ、と
10代のようなことを考えてしまうのだ。
とりあえず、成人式には出ていない。
ちょうど前日に祖母が亡くなってしまい、晴れ着の代わりに喪服で過ごしていたので。
まあ、これは仕方ない。祝う気分じゃあなかったし。
振袖を着て、同級生に会って、式に参加すれば大人というわけでもないし。
なら、私はいつから大人になったのか?
15歳の頃にも考えた覚えがある。
あーあ、進歩ないよなぁ。
その頃、周りからは子供扱いされたり、もう大人と言われたり。
ま、実際子供には違いないけれど、どっちなんだ?と考えたりもした。
15歳なら、もしくは、独身の20代前半ならば可愛らしいと言えなくもない
こんな悩みも、今となっては「何言ってんの?」てなものだろう。
一応結論としては、「折り合いがつけられること」かな。
当たり前ですが。
自分の思うことと、他人や社会の思うことのギャップに気付いて、
押し通すでもなく、流されるでもなく、納得のいく答えを出すこと。
みんなすごいよなぁ、と感心する。
場の雰囲気とか、今やるべきことなんかを壊すことのないよう、
「適当」ってものを身につけてないと、大人としてやっていけない。
もすごーく、苦手なんだ、私は。
いやもう、そんなの許されるわけないのは分かってるんだけど、
これが正しいと思ってやっても、なんでこうなるの?てなことはいっぱいあって。
自分の考えをどこまで出せばいいのか、相手をどこまで
受け入れればいいのかの判断が、非常に難しいと思う。
そんなわけだから、いろいろぶつかってきたんだけどさ。
でも、身軽な頃と違って、今はおまけがいっぱいついてきてる。
家族とか、社会とか、将来とか。
そうなると「苦手ですからー」と逃げるわけにもいかない。
まあなんとか、折り合いたいんですよ、という態度は示しているつもりだけど、
相手に伝わっているかどうか甚だアヤシイ。
でも努力は続けないとね。
でもたまに、なんにも考えないで人と付き合えたらなぁ、と思ったりもする。
嫌いになったり、2度と会いたくないと思ってるわけでもないのに、
人と人とは簡単に壊れるものだから。
それならどうしてもっと、簡単に繋がれないものかな、と。
大人になることが、人との繋がりを保つためのものだとしたら、
もっとそれを分かり合えたらいいのに、と思う。
あなたと一緒にいたいよ、壊したくないよ、という気持ち。
それを気軽に伝え合えたら、本当の気持ちを口にするのに、
こんなに余計な手順はいらないのじゃないだろうか。
そういうことを考えることが、子供なのかも知れないけれど。
自由と不自由の隙間で行動を選択して大人をやってるのは、時々とても疲れてしまう。
もっと、壊したくないことを伝え合えたらいいのにね。
厳重に箱詰めにしなくても、互いにそれを壊さないようにしていれば、
守れるものなんじゃないのかな。
硝子のようなのは10代の子達より、
責任や分別のある大人のほうじゃないのかと思う。
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