未来の世界。
あらゆることがルール化され、自由を奪われた世界へとなってしまっていました。
なにをするにも許可を得なければ出来ない世界。
そんな息苦しい世界の中で、ある日あなたは宝くじをあてます。
10年に一度だけ発行される宝くじ。
賞品はお金ではありません。
1等しかない、その宝くじの賞品は――『自由』です。
1日だけ、なんの制限もなく『自由』に行動することができるのです。
そして、あなた。
そう、あなたがその宝くじに当選してしまったのです。
あなたなら1日の『自由』をどう過ごしますか?
『自由』始まりは、明日の朝8時から、終わりは翌朝8時まで。
さぁ、好きなように『自由』に『自由』をお過ごし下さい……。
遥か昔。
陸地がこの星の三割程度しかなかった頃。
世界は『自由』であったらしい。
長い歴史の中でその『自由』は形を変え、その都度作り変えられた規律の下に人は生活していた。
結果、様々な不具合を招くこととなる。
自然破壊、犯罪の増加と多様化、絶えることのない戦争、テロ活動、無気力で身勝手な人間達。
子供は夢を見ることを忘れ、大人は自分の利益のためだけに走り回る。
そんな世界が変化を遂げたのは、もう数百年も前のことだと言われている。
少しづつ、時間をかけて『ルール』は作られていった。
人間に『自由』を与えてはいけない。個人の考えで行動することは、多くの弊害を伴う。
ならば、それを整備することが早急に必要だ。
最初に整備されたのは、今僕らが暮らしているこの『世界』だった。
必要な水源地以外は次々に埋め立てられ、世界は一続きの陸地で統一された。
移動はすべて、地下を走る『シューター』で行う。
流線型のカプセルに乗り、目的地を設定して地下に張り巡らされたパイプの中を移動する。
決められた歩行の時間以外は、どこへ行くにもこれで移動することが義務付けられていた。
そう、世界は、『義務』で満ちている。
『自由』に過ごした過去の人間達が生み出した『害』。
それを消し去り、埋め立てられた陸地のように、人間の生活も統一されていった。
まず『国』というものが無くなり、人々はすべて同じ地上で暮らす生き物として設定された。
使用する言語も通貨も同じ。年齢と仕事の能力によって決められる収入。テリトリーと呼ばれる、同じ形の住居。
その中で作られた『チーム』。1チーム十人の人間達に、一人の『管理人』が付く。
マスターはチームに所属する人間達に、一ヵ月ごとのスケジュールを組み立てるのが仕事だ。
管理される人間は次の一ヵ月に希望する予定をマスターに申告し、それを基にすべての時間が管理される。
朝起きる時間から、仕事や勉強に使う時間、趣味や娯楽の時間、生活に必要な食事や排泄や入浴に至るまで。
分刻みで管理され、人々は『自由』から解放された。
何も悩むことはない。マスターが決めた通りの行動をこなせば、すべてうまくいく。
会社や学校といったものは姿を消し、人は自分のテリトリーの中で一人、決められたノルマをこなしていけばいい。
男性も女性も、マスターが適切と思う年齢に達し、その権利があると判断されると『結婚』というノルマに出会う。
相手を選ぶのも、もちろんマスターだ。
結婚を許可されたペアは、同じテリトリーで過ごし、子供は二人まで育てることが許されている。
生まれた子供は18歳まで親と一緒に過ごし、その後は一人づつ個別のテリトリーで生活する。
すべての生活は、チームのマスターと、それをまとめるリーダー、さらに上の『支配グループ』によって管理されていた。
僕らの体には、個別の『管理装置』が付けられている。
ちょうど首の後ろ。脊髄に近いあたりに、生後間もなく埋め込まれるチップだ。
マスターの決めたスケジュール通りに行動しなかった場合、警告のサインがそこから発せられる。
それは頭に響くノイズとして受け取られ、人は皆、その不快なノイズから逃れるために慌ててノルマに戻る。
戻らなかった時には『ペナルティ』だ。
体に感じる痛みとして全身を襲うペナルティは、5歳を過ぎた子供全員に一度づつ体験させることが義務付けられた。
その痛みを忘れることなく、スケジュールをこなさなくてはならない。
それでも、そこから逃げ出そうとする人は少なくなかった。
結果、より一層の管理が必要と認識され、逆らった人達は『管理棟』に収容される。
自分の意思で行動することは基より、『思考』すら剥奪され、ただの『マシン』として決められた作業をこなすのみだ。
それは、イコール、『死刑』に他ならない。
犯罪が消えたこの世界では、管理に逆らうことが最大の『罪』とされた。
管理された人間達は、百年という長い一生を、淡々と、悩みも苦しみも喜びもなく、ただ、生きていた。
空が青い。
『許可』の時間を迎えてから、もう1時間くらいは経っただろうか。
僕は『パーク』にいた。今は『夏の終わり』だ。
世界はこの星を大きなバリアで覆うことで、季節すらも管理している。
決められた温度と湿度。それを保つのに必要とされた日差しの中、芝生の上に寝転んで空を見上げる。
午前9時というこの時間、空は朝の白々としたフィルタを弱め、濃いブルーに変わりつつあった。
左の手首に付けた端末を開いてみる。
8月31日。この日の僕のスケジュールは『空白』。
いつもなら、起床時間に自動的に目が覚め、この端末でその日のスケジュールを確認し、決まった時間に食事をして
身の回りを整え、時間通りに仕事や家事、他人との交流、運動などのノルマをこなし、就寝時間に眠る。
それが、今日に限って、すべて空白だった。
――宝くじ――。
いつだったか、歴史の本で読んだことがある。
それは庶民の生活の中で、ちょっとした娯楽の一環であったに過ぎないようだ。
当時、くじに当選した人がもらえるものは現金だった。
ポケットにある小銭だけでも手に入れられるそれは、ささやかな夢を売ってくれるものであったらしい。
今、この宝くじは、年収のおよそ半分、つまり、半年分の給料で一枚を買うことができる。
くじが発売されるのは十年に一度。当選するのは、たったの一人。
もらえるものは、24時間の『自由』。
僕がこの宝くじを買ったのには、たいした理由なんてない。
その存在を知った時に感じた無意味さと同じくらいだ。
僕の周りで『友人』と設定された人と『交流』した時にも、『恋人』と決められた人と『交際』している時にも、
その宝くじの話題は飽きるほど出された。
1分たりとも自分で決めた行動ができないこの世界で、24時間の自由。
十年に一度。不慮の事故や現在の医学で治療できない病気にならない限り、一生に10回訪れるかどうかというチャンス。
前回のくじの時、僕は『中学生』という身分で『両親』と3人で暮らしていた。
その頃、この宝くじを買うことができるのは、一生のうちである程度、
収入を個人的に使うことができる年代だけだ、という話を聞いた。
半年分の給料を貯めてまで買ったとしても、当選するのはこの世界で一人。
まさに、これだけがこの世界で唯一の『夢』だった。
24歳の僕は、独身男性用のテリトリーで一人で暮らし、端末に送られてくる指示に従って生きていた。
ただ、生活に必要な物が満たされれば、他にお金を使うことを思いつかなかっただけだ。
『友人』達のように娯楽の時間や飲酒の量を申請したり、『恋人』のように高価な服の購入や旅行の許可を取るのが面倒だった。
『会社員』という肩書きを付けられて4年。気付けば、その宝くじを買うくらいの貯えがあった。
だから、一枚買った。
それだけだ。
夕食の後、決まった時間に、僕は自分のテリトリーのソファに座り、送られてくるニュースの映像を観ていた。
そこに、自分の名前があった。当選した宝くじをどこに置いただろうかと考えているうちに、端末に指令が届く。
『テリトリーを出てマスター室へ。時間は15分後』
僕は当然、その指示に従った。机の引き出しから、クリーム色の紙に番号が印刷されただけの宝くじを手にして。
「おめでとうございます、コウ。あなたは宝くじに当選し、24時間の自由を手に入れました」
コウ。それが僕の名前だ。
昔はあったと言われるファミリーネーム――苗字のようなものは、今は無い。
個人を識別する番号に過ぎない名前。それが、この呼び名だ。
「ありがとうございます」
何も考える必要は無い。見た目は50代の黄色人種の男性に見えるマスターの言葉に、頭に浮かんだままの言葉で応える。
「まず、ルールを説明します」
またか。
僕らは物心ついた時から、ルールを教わることを繰り返してきた。
それは、子供を持った親の義務であり、この世界で暮らす大人の義務でもある。
教科書に書いてある内容よりも先に、ここのルールを徹底的に叩き込むことが、ここの『ルール』だ。
「この宝くじが有効になるのは、明日の午前8時から、明後日の午前8時まで。
その間、あなたはどこへ行くのも何をするのも自由です。――ただし、他の一般人に影響を与えない範囲で」
つまり、与えられた指示どおりに暮らしている人の邪魔をせず、この世界の動きにも関わるな、ということだ。
「平常時と違い、端末には何の指示も送られません。有効時間を過ぎない限り、スケジュールに無い行動を取っても
こちらからは何の警告もペナルティもありません。明朝8時、その許可が下ります」
マスターは穏やかな笑みを湛えて言葉を続けた。しかし、その顔を上げることはない。
目の前の端末を見つめ、休みなくキーボードを叩いている。
僕達は、人と視線を合わせて話すことなど有り得ない。
『友人』とも『恋人』とも、決まった時間の中の決まった行動をこなす間、余計な感情を交わすことのないよう教えられてきた。
瞳を見るのは、ルール違反だと言われていた。
「私達は、あなたの幸運と権利を尊重し、有意義な時間を過ごされることを祈っています。分かりますね?」
「……はい」
「では、どうぞ、楽しい一日を」
シュッと軽い音をたてて、僕の背後のドアが開いた。手首の端末にはもう、次の指示が届いている。
『テリトリーに戻り、入浴。時間は30分間』
僕は黙ってマスター室を出た。見送るマスターが、静かな笑顔のまま、一瞬だけ僕と視線を合わせた気がした。
どこか遠くで、鳥の鳴く声が聞こえる。
パークに人影は無い。平日の朝、こんなところにいるのは僕だけだ。
――何をしよう。
宝くじに当たる可能性など、考えもしなかった。欲しいという人がいれば、譲ってもいいくらいだった。
けれど、その権利を放棄することは許されない。
これのどこが、本当の『自由』だと言えるのだろう。
本当の、自由。
それがどんなものだか、僕には分からない。
マスターの指示を受けない行動など、想像もつかない。
今朝は普段どおりの時間に起きた。説明されたように、午前8時に、僕の端末は空白になった。
ただ、日付と時刻が表示されているだけ。まるで、昔の『時計』だ。
その空白を確認した僕は、無意識に普段どおりに朝食を摂り、テリトリーを出た。
休日の夕方に設定された『散歩』の時間のように。
他にすることも、行くところも思いつかない。
僕の『恋人』は、昨夜、いつもの時間の電話でこう言った。――どこへ行くのも、誰と会うのも自由だなんて。ステキね。
『ステキ、か。そうなのかな。まさか当たるなんて思わなかったから、何も考えてないよ』
『そう? でも、せっかくの自由な一日なんだもの。その時にやりたいと思ったことをやればいいんじゃない?』
『――まあ、そうだな。けど本当に思いつかない。何も指示されないで行動することなんて。
今まで当選した人達はどうしていたんだろう。何をして過ごしたんだろうな』
『さあ……。少し遠出をしたりとか、普段なかなか会えない人に会ったり……。私ならそうするかしら』
どこへ行けばいいのだろう。誰に会えばいいのだろう。
僕は、何をしたいのだろう。
ふと、首の後ろを手で探る。
触れたくらいでは分からないくらい深くに『管理装置』はある。明日の朝8時を過ぎれば、またそれは作動するのだろう。
自分の手でそれを外すことは不可能だ。刃物か何かで抉り出そうとしたら、そのまま死に至る。
現実には、その動作をしたことが確認されれば、すぐさま警告が発せられ、それに応じなければペナルティが下る。
この世界に暮らす人間として、当然、その痛みは覚えていた。
けれどそれは一瞬のことだ。次の瞬間には気を失い、しばらく動くこともできない。
5歳を迎えた時に行われた『テスト』の時もそうだった。
僕の両親は、自分が痛みを与えられたような顔をして僕が目を覚ますのを待っていた。
本当のペナルティになれば、気を失っている間にマスター達に捕獲されるのだろう。
――今なら。
警告のノイズは鳴らない。ペナルティも無いはずだ。
地下へのエスカレータを降り、シューター乗り場のゲートをくぐる。
いつものように『指示』を受けていることを確認する緑のランプは点らなかった。
光にも音にも邪魔をされず、僕は誰もいないシューターに乗り、自分のテリトリーの場所を設定した。
ヴィン、という軽い機械の音がして、僕を乗せたシューターは静かに目的地に向かって動き出す。
どこにも行きたくない。誰とも会いたくない。
それが僕の望む『自由』だ。
ゆっくりと減速して停まったシューターから降りて、自分のテリトリーのドアへ向かう。
誰とも顔を合わせないまま、僕の『権利』の時間は1時間半を過ぎていた。
――どうやって死のうか。
できれば、埋め込まれた管理装置を取り外してみたかった。この24年間、僕を支配してきた小さなチップを見てみたい。
けれど、テリトリー内にある刃物――当然、包丁やカッターナイフくらいしか無い――で、簡単に取り出せる自信はない。
自殺に使えそうな薬品の類もここには無かった。薬を必要とする場合は、その都度マスターから適量を与えられ、
マスターと『医師』の監視の下で服用することを義務付けられている。
首を吊るくらいしかないか。
この現代において、笑えるくらいに原始的だ。もっと楽に、短時間で命を失う方法はいくらでもあるのに。
僕らにそれを選択する自由はない。『当選者』の僕にも、それを手に入れる方法が分からない。
一応、運動用具のひとつとして、縄跳び用のロープならあった。子供の頃、運動の時間に使っていたことがある。
カーテンレールか何かに掛けたくらいでは、簡単に折れてしまうだろう。
僕はしばらく考えて、工具箱から釘と金槌を取り出し、椅子の上に上がって天井にロープを打ち付けた。
長さを調節し、自分の首をそこに通して、足元の椅子を蹴る。
それですべてが終わるなら。この空虚な毎日が終わるなら。
これが僕の欲しかった『自由』だ。
きつく目を閉じ、椅子を蹴った瞬間、パシュッという音がして、僕はそのまま床に落ちた。
打ち付けた釘の数が足りなかったか、ロープの強度が弱くて切れたか、いずれにしても情け無いことに変わりはない。
やり直しか、と目を開くと、ぼんやりとした視界に一人の男の姿が見えた。
「……マスター?」
「すみません、コウ」
床に視線を落としたマスターは、搾り出すような声でそう言った。
右手には、管理者達が威嚇用に携帯している銃が握られている。
その銃を貸してもらえないだろうか。目盛りを最大にすれば、死ぬことも難しくない。
僕は『当選者』だ。その要求をする権利もあるはずだ。
「この銃は渡せません。あなたを死なせることも、私にはできない」
僕が何も言わないうちに、マスターは静かに呟いた。
「何故ですか? 僕は宝くじに当たりました。今は何をするのも自由なはずです」
「確かにその通りです。けれど――あなたも私も、当選者やマスターである前に、人間です」
言っている意味が分からない。いったい、何が言いたいのか。
「人間には感情があります。私は、あなたが当選者に選ばれた時に、こうなることが分かっていました。
私は毎日、あなたを見ています。行動を管理し、調整しています。だから……申し訳ないが、後を着けさせてもらった」
マスターは床に腰を下ろし、顔を上げた。黒い瞳が真っ直ぐに僕を捉える。
しばらくの間、僕らは黙って視線を合わせていた。何も言わない。それでも、そこには何かの繋がりが確かにあった。
「そういうこと、か」
「……分かりましたか」
「ええ。あなたがそうなんですね。僕の、この『チーム』の人間達全員の」
首に絡んだままのロープを引きちぎるように外すと、僕は背中を伸ばして再び彼の瞳を見た。
「あえて、こういう呼び方をさせてもらっていいでしょうか。今の僕の『権利』として」
穏やかな瞳が、哀しげに細められる。
「……父さん」
結婚したペアは子供を二人まで育てることができる。
そう、あくまで許されるのは『育てる権利』だ。もちろんマスター達の監視の下、決まったスケジュールで。
性行為自体は禁じられていない。男女のコミュニティの手段として、会話や外出と同じように許可されている。
しかし、第二次性徴期を迎えると、人は人生で二度目のテストを受ける。
すなわち、自分の遺伝子を将来に残すことができるかどうか。
その資格が無いと判断された多くの人々は生殖する機能を除去され、選ばれた遺伝子を持つ人はそれを世界に提供する。
そうして、人工的に繁殖され、母親の胎内ではなく人工子宮から産み出された子供達は、子育てを許されたペアの元で育てられる。
だから、僕と僕を育てた両親との間に血の繋がりは一切無い。それは誰にでも当て嵌まることで、何の疑問も持たなかった。
考えてみれば、その遺伝子の提供者がマスターになるというのは、至極当然のことなのかもしれない。
親が子供の管理をするのは、遥か昔から繰り返された『自然』だ。
この人工物に満ちた世界で出会う自然に、僕は笑った。
僕を作っている要素の半分は、無言で僕を見つめているこの男から作られた。
だからどうだと言うんだ。
育ててくれた両親には感謝している。毎日のスケジュールの中に、その両親と過ごす時間も含まれている。
それが何だ。
僕は誰だ。
何のために、誰のために、ここに生まれてきたというのか。
与えられた奇跡のようなこの時間、自分を殺すことしか思いつかなかった。
「銃を、貸して下さい」
「……できません」
「なら、何でもいい。薬でも、刃物でも、飛び降りることができる高い建物でも。
俺が死ぬ手段を与えてくれ。今、この時間のうちに、早く死なせてくれ!」
驚いた。
何に対しても、僕は執着することなど無いと思っていた。
生きたいとも思わないが、死にたいとも思わない。
そんな単調な毎日から抜け出せた今日、望んだものはたったひとつ。自分の死だ。
「お願いです、コウ」
力なく床に座り込んだマスターが、僕を見上げてゆっくりと口を開いた。
「死なないで下さい。……せめて、あなただけは」
「――何だって?」
「今まで……」
言いかけた言葉を飲み込んで、マスターが一度、大きなため息を吐いた。
「今まで、この宝くじに当たった人は、記録が残っているだけでも数千人に上ります。
そして、そのすべての人が、自殺――もしくは、無理やり管理装置を取り外そうとして管理棟送りとなっています」
「な……」
何だそれは。
一年間の収入の半分を費やして、十年に一度訪れる機会を待って、人々は『死』を買い求める。
「もちろん、自ら死を選ばせるための宝くじではありません。今、この世界において人に与えることができる『夢』――。
24時間の自由を与えることで、私達は人々に自分で考えるチャンスを与えてきたつもりです」
その結果がこれか。
どこにも行きたくない。誰にも会いたくない。何にも邪魔をされずに済むこの時間のうちに、自分を消し去りたい。
自分で考えるチャンス。
たった一人、24時間の中で、僕らは何を考えればいい。
「……あんた達は、俺に何を望むんだ」
「何も。――いえ、考えてほしいのです。この世界の、未来を。これからの人間達の生き方を」
「それで何になる。俺一人が考えて、何が変わる。結局明日の朝には、また同じ生活が始まるだけだ」
「それは、あなた次第です」
マスターは手の中の銃を腰のホルダに納め、再び僕の目を見つめた。
「あなたが私の『息子』であるのは事実です。生物学的には。それだからかどうかは分かりません。
でも――、私はあなたを死なせたくはない。いつか寿命がくる時まで、生きて、幸福であってほしい」
「どうすればいい」
僕は近くにあった椅子に腰を下ろし、マスターの瞳を見つめ返した。
「生きることは簡単だ。昨日までと同じように、管理された生活を送っていれば、百年という永い時間、
俺達は生きていけるだろう。あんた達が望むのは、それなのか?」
「いいえ」
即座に返事をしたマスターが、僕の足元からちぎれたロープを拾い上げた。
まるでそれを遠ざければ、僕が死なないで済むとでも言うかのように。
「皆、忘れているのです。思考するということ、変化するということを。いつの時代にも、100%の幸福など有り得ない。
だからこそ私達は、考えるのです。どうすれば幸福でいられるか。平和な世界でいられるか」
そうだ。
昔、自由だった人々が、考えに考えた結果がこの世界だ。
戦争も犯罪も無くなり、弱い者が迫害されることも、他人を騙すことも消えた。
これこそが、『幸福』の形であると思ったからこそ、今のこの世界がある。
しかし、今、ここで生きている人々は幸福だろうか。24時間の自由を与えられたこれまでの当選者達は、何故、死を選んだのか。
「急ぐ必要はありません」
マスターの瞳は、相変わらず真っ直ぐに僕を見つめている。
今までずっと逸らしてきた視線を、僕に注ぎ続けている。
あるいは、その視線こそが、この宝くじの『賞品』なのかもしれない。
「考えて下さい。限られた時間の中ですが、あなた達にはその自由があるのです。
心の中は、宝くじに当たることなどなくても、いつも、自由なのです。それを――覚えていて下さい」
「覚えていたら、何か変わるのか」
「きっと。変わらなければいけません。いつか、ずっと遠い未来でも。人々は皆、幸福を追い求めて生きる。
目に見えない、形にならない幸福というものを追いかけることこそが、幸福なのです」
「今の世界は、幸福を形にしている。その枠の中に人を嵌め込んで、幸福の形を作っているじゃないか」
「確かにその通りです。そしてそれは、遥か昔の人々が望んだ『夢』の結果なのです」
夢――。
僕らは、夢を見ない。眠っている間に見ているとされる夢も、記憶には残らない。
それが余計な『害』を呼び込まないよう、ずっとそうされてきた。
なのに、夢を見ることが人間の幸福であり、義務であるとするなら。
僕らは今、目覚めることが必要なのだろうか。
「――もう、大丈夫ですね」
立ち上がったマスターは、いつもと変わらない穏やかな笑みを見せた。
「少しづつでいいのです。あなたはそのきっかけであればいい。夢を見ること、幸福を追い求めることを、思い出してほしい。
それが、この宝くじの本来の目的であり、私達の描いた『夢』なのですから」
僕は黙って天井を見上げた。
そこには、マスターの銃で断ち切られたロープの残骸が、釘で打ち付けられたままぶら下がっている。
「――このままで、いいですか」
「は?」
「あのロープです。このまま、天井に付けておきたい。ダメですか」
「そんなことはありません」
マスターは静かに笑い、僕と同じように天井を見上げた。
「あなたはそれが必要だと思うのでしょう。ならば、そうしておきなさい。まだ、『自由』の時間は残っています。
他に何か望むものはありますか? 行きたい場所や会いたい人があるのなら、こちらで調整を行います」
一瞬、彼女の顔が浮かんだ。
僕の恋人として、4年前から交際している同じ年齢の女性だ。
彼女の名前は『ナギ』。肩にかかる長さの黒い髪と黒い瞳を持つ、おそらくは僕と同じ流れの人種の女性。
ナギは今、何をしているだろう。与えられた仕事をこなし、スケジュール通りに暮らしているはずだ。
この賞品を与えられた僕のことを、少しは思い出しているだろうか。
宝くじを買っていない彼女にも与えられている『自由』。その中に僕の存在はあるのだろうか。
「――何も」
「何もありませんか?」
「ええ。もう、充分です。僕は『賞品』を受け取りました」
「……そうですね。私も、そう思います。――ありがとう」
ありがとう。
何故、この人は僕に礼など言うのだろう。いや、どうでもいい。
初めて死に損なった当選者の僕には、まだ永い時間が残されている。
「では、私はこれで――」
「ああ、そうだ」
「何か?」
「俺の、母親、ていうのは……」
言いかけた僕と、マスターの視線が合った。
彼はゆっくり首を横に振り、静かに微笑むと、黙って僕のテリトリーから姿を消した。
それで、充分だった。
仰向けにベッドに寝転んだ僕の視界の片隅で、天井からぶら下がったロープが微かに揺れている。
ロープを揺らす風は、空気の流れは、どこから来るのだろう。
僕達はどこから来て、どこへ行くのか。
『それは、あなた次第です』
目を覚ませ。明日から再び始まる単調な毎日の中で、目を開き、耳を澄ませ、思考する。
僕らにはその権利がある。その義務がある。
来訪者を告げるチャイムが鳴った。いつの間にか時刻は午後2時になっている。
僕に残された賞品の時間も、残すところ18時間だ。
「――はい」
『あの……、私です。入ってもいいかしら』
ナギだ。
本来ならば今頃は自分のテリトリーで仕事をし、予定があれば僕と待ち合わせて食事をしたり、
会わない日ならば決まった時間に電話で話す。
その彼女が、こんな時間に来るなどと思わなかった。
「どうした」
「ごめんなさい、急に。でも……」
ドアを開けた僕を見上げたナギの瞳に、涙の膜が浮かび上がる。僕は彼女を室内に入れ、椅子に座らせてドアを閉めた。
「……今日は、会う約束じゃなかったよな」
「ええ。でも……、どうしても、会いたかったの。だから、昨日のうちにここへ来る許可をもらったの。ごめんなさい」
「謝らなくてもいい。ただ、どうして来たんだ? ――何故、泣くんだ」
「……生きて……」
「え?」
「生きて、いてくれた。コウ、あなたが、まだ生きていてくれたから……」
知っていたのか。今までの当選者達が自ら死を選んできたことを。僕がそれを選ぶ可能性を。
「ああ……。どういうわけかね。おせっかいな『父親』のおかげで」
「……お父さん?」
ナギは僕とは違うチームに所属している。当然だ。
この先結婚を許されたペアになる可能性のある男女を、同じチームから出すわけにはいかない。
「いや、何でもない。大丈夫。生きてるよ。――今は、もう、死ぬつもりはない」
「良かった……」
頬を伝う涙を拭ったナギが、ようやく顔を上げて微笑んだ。
僕は床に膝をつき、彼女の顔を覗き込む。
「ナギ」
「はい?」
「このあとの予定は?」
「――ええと……。あなたと一緒に過ごす時間としては、午後8時までを申請してあるわ。
私の勝手な申請だから、あなたの都合が付かなければ、マスターに報告して変更してもらうけれど」
「いや、いいよ」
僕は彼女の近くにもうひとつ椅子を引き寄せて腰を下ろし、その黒い瞳を見つめた。
戸惑ったように揺れる瞳が、柔らかく細められる。またひとつ、涙が頬を伝い落ちた。
「もう泣くな」
「……うん」
「君は知っていたのか? 今までこの宝くじに当たった人達が何をしてきたか」
「昨日、調べたの。可能な限りのデータベースを使って。最後には、あなたのチームのマスターと話をさせてもらった」
「うちのマスターと?」
「そう。あなたが当選したこと、私があなたの『恋人』だということから、その――過去の当選者達の話を聞かせてもらったわ。
そして、今日の午後、ここに来ることを私のマスターに要請してくれた」
とことんおせっかいなヤツだ。僕は苦笑して右手を伸ばし、彼女の髪を軽く撫でた。
「大丈夫。死んだりしないよ」
安心させるために言った言葉なのに、黙って頷いたナギは、また涙を零した。
こんなに泣いている彼女を見るのは初めてだ。彼女が自ら申請して、僕に会いに来たことも。
泣いているナギの顔を見つめていると、やっと涙が治まったらしい彼女が不思議そうに僕を見返す。
「……どうして、そんなに見つめているの?」
「どうしてかな。今まで、人と会う時に瞳を見ることなんてなかった。きっとそれが、間違っていたんだ」
しばらく逡巡しているように見えたナギの瞳が、真っ直ぐに僕の視線を捉える。
互いに何も言わない。4年の間恋人として一緒にいた彼女に、今日初めて出会ったような気がした。
ナギが何か言おうと口を開きかけた時、僕の腹が派手な音を立てて鳴った。
二人で同時に吹き出す。涙が残ったままの瞳で、ナギが笑い転げる。
そう、こんな些細な幸福でいい。この笑顔を追い続ければいいんだ。
「そういえば、朝食を摂ったきり何も食べてなかったな」
「何か作るわ。――パスタとか、軽い物?」
「うん。半端な時間だしな。何の指示もないと、調子が狂うよ」
立ち上がりかけた彼女の肩に手をかけ、僕はもう一度瞳を見つめた。
「食事が済んだら、少し散歩に出よう。それから――」
「それから?」
「話がしたい。君と、俺のことを」
少しの間不思議そうな顔をしていたナギが、ゆっくりと微笑んだ。
そうだ。これが、僕が手に入れた『賞品』だったんだ――。
えー、こんなところにちょこっとあと書きです。
今回『ストーリーテラー』という一次創作小説同盟様の第4回企画に参加させていただきまして、
苦手なファンタジーに取り組んでみました(笑)。
3つあったお題のうち、書けそうなのはこれくらいだったんですよ……。
というのも、『自由』とは何か、と考えていた頃が自分にもあったからです。
世の中には『自由な不自由』と『不自由な自由』がありますよね。
何でも自分の好きにしていいと言われれば、確かに『自由』です。けれど、それは果たして本当の幸福でしょうか。
誰の影響も受けない、誰にも影響しない孤独な自由。その中からは何が生まれるのか。
人は一人で生きていくことはできません。すべて自分の思うがままになる世界は、孤独なだけに過ぎないんじゃないでしょうか。
その孤独が招く『不自由』。他人の心まで手に入れる自由は、誰にもありません。
だから、今、多くの人は『不自由な自由』の中で暮らしているように私は思います。
時間に縛られ、所属する団体や家族に縛られ、息苦しい思いをしながら、結局はその『不自由』に守られて生きている。
そして、誰でも持っている心の中の『自由』から、私達を取り巻く『不自由』は形を変えていくのじゃないだろうか。
形を変えながらこの不自由を守り続けていくこと、目を閉じていればあっという間に過ぎてしまう日々の中で、
時々立ち止まり、その時間の流れの行き先を考えることが、幸福を作っていくのじゃないかと思いました。
あら、なんだかマジメなあと書きですね(笑)。
普段は煩わしく感じられる『不自由』の意味を、追い求める『幸福』の形を、考えるきっかけになれれば幸いです。
この作品を書かせていただいた、管理人様をはじめ同盟員の皆様、
どっか辻褄合ってなくねー!? という私の疑問に答えてくれたモノカキ仲間のむそー氏、
そしてこの作品にお付き合い下さった方々に感謝します。
どうもありがとうございました。
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