隣の部屋で格闘ゲームで対戦する大西達と、なぜか対等に戦っている要の笑顔を見ながら、
僕は台所でカレーを煮込んでいた。
どうやら沙姫ちゃんは要に、大西のところに野菜がいっぱい来たから、
保存できるものを作るのを手伝ってほしいと言って連れて来たようだ。
手伝えと言った本人が包丁はおろか野菜にすら触らないってのもどうかと思うが。
で、要の助言により、2人でカレー用の肉やらルーやらを買って来たわけだ。
シェフがいるから、と妙な遠慮をする要を僕と2人で台所に押し込み、
食べる専門の2人は遊び出してしまった。
とりあえず、じゃがいもとにんじんの皮むきを頼んで、僕はたまねぎをゆっくりと炒める。
何気なく見ると、なかなかいい手つきで捌いていく。
その白い指に見とれながら、自分もそろそろ部屋でも借りようかと思わないわけではなかったが、
ありきたりな質問でごまかした。
「家の手伝い、よくするの?」
「――学校とかあるからあんまり……。でも、お料理は楽しいから好き」
そう言って照れたように笑う。――ほんとに家を出ることも考えたくなってきた。
あの日の話には触れないままカレーを煮始め、あとはいいから遊んでこいよ、と言ったところ、
初めは見ているだけだったようなのに、いつの間にかしっかり対戦していた。
楽しそうに笑う要を見るのはひさしぶりで、ずっとこわばっていた体がほぐれる気がする。
そんな自分に苦笑しながら、作りかけてやめていたきんぴらごぼうにとりかかった。
包丁の背でごぼうの皮を削ぎ落としていると、ゲームにも飽きたのか、沙姫ちゃんが覗きに来た。
「……それ、何やってるの?」
「ごぼうの皮むいてるんだよ」
「ごぼうって、皮あるの?」
「……あるの」
しばらくの間、へー、そうやってむくんだー、と感心していた沙姫ちゃんは、
僕がボールに水を張り、ごぼうの先を斜めに切り落としてささがきにし始めると、また目を丸くした。
「え、何それ、何やってるの?」
……キミは3歳児ですか。
それでも『ささがき』は知っていたようで、またひとしきり、へー、と感心する。
ナベにごま油をひいてごぼうとにんじんを炒め、味付けをしてしばらく炒め煮にする。
少し固めに作っておいて、冷まして冷凍しておくから、あっためて食えよ、と言ってやる。
「……電子レンジくらいは使えるよな?」
「失礼ねー。一番得意よ、それ」
自慢になるかい。まあでも、こいつらはほんと、憎めない。
出来上がったカレーを4人で夕食にし、残りは同じく冷凍保存。しばらく大西は夕食に困らないだろう。
女の子2人で洗い物をしてくれると言うので、テレビを見ながら思ったことを言ってみた。
「――謀ったろ」
「何が?」
とぼけてタバコをふかす大西の足を蹴飛ばす。
「いて。なーに言ってんだよ。これが『お礼』でしょーが」
「……何があったか訊かないのか?」
「言いたいのか?」
「……いや。今はちょっと言えない……かな」
「だろ。別にいいよ。んでもなんか、2人して、話したいのに話せないのがありありだったからさ。
ま、わざとらしいのは俺らの特徴ってことで」
「……助かったよ」
へっ、と笑う大西を見て、時々、こいつには敵わないな、と思うことがある。
僕にはない強さを持っている。――塚本さんにも、そうだ。
笑って、トラブルをかわしていける。自分の守りたいものを、相手に負担に思わせずに守れる。
――どこが、似てるもんかよ。
台所から、水音と一緒に要の笑い声も聞こえる。
君は、彼の前でもそんなふうに笑っていたのか。その存在は、どこまで大きいのか。
――僕はやっぱり、本物には敵わない、贋物か。
夏の夜空にしては、星がよく見えていた。
隣を歩く要も、僕も、さっきから黙ったままだ。
兄貴と話して僕の勝手な誤解はとけたものの、この中途半端な状態は変わらない。
何から話そうか、どう言えばいいのか考えているうちに、駅前の繁華街に出てしまった。
時間は夜の9時。
なんなら泊まってけばー、と言う大西と沙姫ちゃんと別れて一緒に部屋を出てきた。
「門限って、あったっけ」
唐突にそう訊いた僕に、要が足を止める。
いつもせいぜい夕食を一緒にとるくらいで送って行ったので、気にしたことがなかった。
「別に――ないけど。学校終わって話しこんだりすると、終電になっちゃったりするし……」
「よし、飲みに行こう」
そう言って駅に背を向けて歩き出す。
「え? 今から?」
「都合悪い?」
「……じゃなくて……私一応、未成年なんだけど」
「いい、許す。保護者同伴」
「……保護者……?」
腑に落ちない顔でつぶやく要の先に立って、一度入ったことのある店に向かった。
さすがに2人で居酒屋に入る気にもなれないし、腹が減ってるわけでもないから、
カウンターだけの静かなショットバーを選んだ。
前に付き合ってた娘と入ったことは、とりあえず言わずにおく。
土曜日の夜ということもあって、10人も座ればいっぱいの店はけっこう混んでいた。
それでもちょうど角の席が空いたところだったので、要を奥に座らせて飲み物を注文する。
「大丈夫。軽めのやつだから。飲んだことない?」
「……一応、学校のみんなと飲み会とかあるから……ほとんどジュースみたいなのなら」
「なら平気だな」
ほどなくして目の前に置かれた水割りとカクテルのグラスを、なんとなく合わせる。
「――おいしい」
薄いブルーの液体から目を上げて笑う要を見て、少し安心した。
ついでにナッツとチョコレートも頼んで、カウンター越しに
ボトルの並んだ棚を眺めていると要が口を開いた。
「ごめんね」
「何が?」
「――気、遣わせちゃったみたい」
「そりゃおまえのほうだろ――俺は勝手に踏み込んだだけだよ」
「そんなこと、ない」
どうして、そんな泣き出しそうな瞳で笑うんだろう。
「あのさ」
グラスを置いて、椅子を軽く左に回し、要の目を見る。
「今日は、全部話そうと思ったんだ」
「……全部……?」
「そう。――俺が初めて要に会った時のことも」
そう言った僕をぽかんとした顔で見つめていた要は、思い出したようにグラスを手にした。
「初めて、って――あの時でしょ? 沙姫ちゃんと大西さんと、ボーリング行った時」
「うん。実際『会った』のはあの時だけど。俺はその1年前から、要を知ってた」
「……え……? どうして……?」
「そりゃ、名前も年も、何してる娘かも知らなかったけど」
あの瞳を知っていた。
寂しげに揺れる、困ったような笑顔。
あの時から、僕は――。
「田野倉尚義って、知ってる?」
「――あなたの身内?」
「分かるか、やっぱ」
「……知らないわ。私の知ってる人なの?」
「そうか。こっちも覚えてなかったんだな」
あの写真が『特別』だったのは、僕だけだったわけだ。
「俺の兄貴。一度会ってるはずなんだけどな」
1年前、という言葉を頼りに、兄貴のことを思い出そうとしているようだった。
要の瞳が天井を見つめ、カウンターのグラスを見つめ、斜め前の壁を見つめて、僕に戻った。
「ごめんなさい――思い出せないわ」
それはそうかも知れない。『野郎のほうが多かった』と兄貴は言っていた。
塚本さんの友達『その他大勢』の中にいた兄貴の名前なんて、聞いてもいないかも知れない。
僕は、例の河原でのバーベキューに兄貴がいたこと、たまたま一緒に写った写真があって、
それを僕が目にしていたことを話した。
ぼんやりと記憶の淵を彷徨っていた要の瞳が、だんだんと焦点を合わせ始める。
「じゃあ、あなたは――」
「そう。塚本さんの友達の、弟。彼に会ったことも何度かあるよ」
『塚本さん』その名前が出た途端に、要の瞳が揺れた。
まるで悪いことをして叱られる子供のように、僕から目を逸らしてうつむく。
僕はその肩を引き寄せたいという衝動を、かろうじて堪えた。
「――まだ、好きなんだろ?」
唇を噛みしめてうつむく要が、小さく頷いた。
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