スポンジの心 3
いじめにあっていた頃、自分はこれからどういう目的で生きていこうかと考えていた。
ええまあ、自殺も考えましたよ、一応。
いじめられて自殺するのは、その状態から逃げたいというのももちろんあるだろうけれど、
自分が存在してはいけないんだと、周りから思わされてしまうからだと思う。
生きている私が言うことじゃないけれど。
こんなに嫌われて、どうしてまだ生きているのだろう、そう思ってしまうのは事実だ。
でも、死ねなかったんだけどね。痛いのとか苦しいのイヤだし。
それでまあ、生きていくなら、自分の存在価値はなんだろう、と。
いじめられる痛みは知っている。イヤと言うほど。
同じような目にあっている人もたくさんいる。
自分に何ができるのか。
痛みを知れば強くなれるのか。優しくなれるのか。
強くなれる自信はなかった。せめて、人の痛みの分かる優しい人間でいたいと思った。
ちょっとヒロイン入ってます。少女漫画的展開です。
でも、私にとって「優しさ」はテーマになった。
自分の名前の下にサブタイトルとしてつけたいくらいに。
しかし、誰にでも優しくできるなんて、そりゃ無理でしょう。
ただでさえ、思ったことがダイレクトに顔と態度にでるやつだし。
嫌いな人には思い切りイヤな顔してます。今でも。
じゃあ、自分の存在が許せないか?
そうでもない。
優しさについて、思春期と呼ばれる時間の多くを使って考えた。
人と接する時に、自分の思うがままよりも、どうしたら相手にいいようにできるのか
少しは考えるようになったと思う。
欠落していた部分に、少し気付くことができたわけだから、私は生きている。
今、いじめにあっている人に適切なアドバイスでもできればいいのだけれど。
もし、うちのチビがいじめにあったら、守ってやれるだろうか。
でもこれだけは忘れたくない。
前を向いていれば、歩いて行ける。
周りを見れば、自分も見える。
考える時間は無駄じゃない。
立ち止まることも、振り返ることもあって、また前を向く。
それでいいんじゃないかな。
心がスポンジみたいなもんだとしたら、冷たい水を吸い込む時も、
ふわふわに乾く時もある。
乾いたスポンジになる権利は、誰にでもある。
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