スポンジの心 2
そのころ自分の状態を、冷たい泥水の染み込んだ重たいスポンジのようだと思った。
布団のように心が干せたらいいのに、と思ったのを覚えている。
どうしてそうなったか?
ま、自業自得な面は多々ありますな。
人間関係を築く上で基本的な常識が欠落していたんだから。
場の空気を読むとか、他人に合わせる、ということができなかった。
今も苦手な方ですが。
冗談が通じない。馬鹿正直に自分の思うままに行動する。
ええい、このアホが、とはたきたくなりますね。
に、しても、その2年間はひどかった。
担任教師は、彼女なりに私が奮起して行動するのを望んでいたのかも知れない。
でも、間違ってたよ、と、一応大人と言われる年になり、人の親になった私は思う。
子供を指導し、守るべき教師が、何故そこまでしたのか。
私はそこまで忌むべき存在だったのか。
一時期精神科を通過するほどには悩んだのである。
それだけではないにしろ、原因のひとつにその教師があることは事実で、
とりあえず私の疑問をぶつけたいと思った時期があり、電話をかけてみたことがある。
出たのは彼女の息子さんで、その時は父親が(つまり教師の夫が)危篤で
彼女は病院につききりだと言われた。
そんな時にかかってくる電話は、家で待つ家族には迷惑なものだろう。
それでも電話をかけた目的を説明してしまうあたり、私も自分勝手だが、
とにかく大変な時に、くだらない用件でわずらわせた非礼は詫びた。
すると息子さんは、自分の母親がしたことは間違っていた、
息子として謝りたい、と言って下さった。
その言葉がありがたい反面、情けなくもなった。
そりゃ、最初から情けない行動をとっているのだけど。
こんなちゃんとした息子さんを育てられたということは、彼女はまっとうな人間だったのだろうか。
私が忌み嫌われていたのは、当然の報いだったのだろうか。
ハイ、ひねくれてますね。
しかし「恐怖の大魔王」が普通の人間だったらどうしたらいいのだ。
それからも悩みたおした私は、どうにか周りの人とバランスをとって付き合うことが分かってきた。
未だに失敗もするが。
担任教師だった彼女は、やはり許すことはできない。
それでも、私は私の時間を生きているから、過去の記憶にいじめられることはないだろう。
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