私には分からないけれど、何やらデザイン関係の勉強らしい。
教科書のような本を片手に、時々何か書き込んでいるのが見える。
ベッドに寝転んで、床に直接座った彼の背中を眺めていると、
最近ひっかかっていた不安が胸に浮かんできた。
あまり自分からあれこれ話題を見つけてくれるほうではないし、
ぶっきらぼうな口調も、ダメなものはダメという頑固さも、変わらない。
だけど、春明は最近妙に優しい。
何か言いたそうなのも気になるけれど、どうでもいいことを話す私を見る視線や、
電話の受け答えの中に柔らかな色が含まれているような気がする。
――ほかに好きな人でもできた、とか?
ほら、後ろめたいことがあると男って優しくなるとか言うじゃない。
……やだ、倦怠期の夫婦じゃあるまいし。
そりゃ、いろいろあったし、もう1年経つし、なんか春明最近明るくなったし……。
学校に入って、覚えなきゃいけないことばかりで、授業についていくだけで精一杯だって言ってたけど、
デザインの学科って、女の子が多いんじゃないかしら。
友達が増えて、集まることも多くなって、それが嬉しかったけど、喜んでる場合じゃなかったりしない?
同じ学校の、明るくて元気で可愛い女の子と比べたら、
私なんて地味だし、妙に落ち着いてるとかよく言われるし。
女にしちゃでかいとも言われるし、やっと肩に届くくらいになった髪も、似合ってる自信はないし……。
いやー! 何ハマってんのよ。こうやってすぐ落ち込むからダメなんじゃないのよ。
そうよ、明るく笑ってたら、学校の女の子と比べたって……やっぱり、ダメかなぁ……。
「……おまえ、何泣いてんだ」
気がつくと、春明が目の前に屈んで顔を覗き込んでいた。
泣いてる? てほどでもないけど……ちょっと目がうるんでしまっているかも。
「なんでもない……」
枕に顔を伏せると、ぽこん、と丸めたノートでハタかれた。
「なんだよ、何かあったのか?」
うー、優しいのはどうしてなのよー。
「……春明」
「うん?」
「なんか、私に言うことあるんじゃない?」
顔を上げて言うと、あきらかにギクっとした。……やっぱり怪しいじゃないのよー!
「な、なんで」
「……なんか、そんな気がする」
「別に、何も……ないよ。なんだ、それで落ち込んでんのか?」
そんなことない、と言おうとして考える。
今までこうやって、言いたいことも言わずにいた。訊きたいことも訊けなかった。
それじゃダメだ、と話し合ったばかりなのに。
むく、と起き上がって、ベッドの端に腰掛けた彼と向き合う。
「そう。それで落ち込んでるの」
「……いや、何もないって」
目を逸らしてるわよ。ええい、こうなったら訊きだしてやる。
「やっぱり、ほかの女の子のほうがいい?」
「は? ……誰がそんなこと言った?」
「だって、変だもん。なんか妙に優しいし、いつも何か言いかけてやめるし、
気がつくと私のこと見てるのに、
目が合うと逸らすし。
……学校で、可愛い女の子と一緒にいると、私じゃイヤになる?」
「おまえなぁ……」
はー、とため息をついて、ぺちん、と私の頬を両手ではさんだ。
「この、バカ」
「ばっ……なんでバカよ! 不安になるでしょ、そんな態度取られたら」
「少なくとも、ほかの女の子なんて面倒なもん、視界に入ってないから」
「……大きく出たわね」
「いや、そういう対象として見る気がないってことだよ。……まったくおまえはほっとくと
際限なく落ち込むんだからな。こっちの気も知らねぇで」
「そう言うんなら!」
正面から彼の目を見据える。う、と逸らしそうになって、こらえてるのが分かる。
「そっちの気がどういうものなのか教えてよ! 言いたいことがあるなら、言ってよ!」
実際には数十秒だったろうけど、数十分もたったような気がした。
「……言えるんならとっくに言ってるってのに……いや、あらたまって言うようなことでもないから……」
いいから言ってよ!と叫びそうになったけど、黙って次の言葉を待つ。
「だから……えー……ほんとに、今さら言うことじゃないのは、分かってんだけど」
心臓が頭の中に移動したみたい。耳のすぐ下から、脈打つ音が直接響いてくる。
「……頼むから、そんな悲壮な顔しないでくれよ……
おまえが勝手に思い込んでるような話じゃないから」
じゃあ、何? ――口から出ない言葉は、私の中を一巡りして、瞼の端にたまっていく。
心底困った顔をした彼が、もう一度小さくため息をついて、ぽん、と私の頭に手を乗せた。
優しい瞳。それがゆっくりと細められて、一番好きな笑顔になる。
どうして笑うの――その言葉を飲み込む間もなく、彼の腕が肩にまわって、抱き寄せられた。
「――好きだよ」
その声が耳に届いた途端、私は思わず彼の胸を押し戻していた。
「えっ!」
「……なんで驚くかな、まったく」
「だって、だって、今、なんて言った?」
「2度も言えるか! やっと言えたんだ、もう言わねーぞ!」
「……それを、言おうとしてたの? ずっと?」
「……」
「ねぇ」
「そうだよ! だから、今さら言うことじゃないのは分かってるって言ってんじゃないか!
でも、結局俺、おまえに一度もそう言ってないし、おまえすぐ勝手に落ち込むし……
だから、いっぺん言っとかないと
何も始まらないんじゃないかと思ったんだよ!」
耳まで赤い。
いつも飄々として、自己チューで、
周りのことになんか興味のないような顔をしている春明が、照れている。
こんなのは、もう一生見れないかも。
「もう、言わないからな! 俺は、ちゃんとはっきり言ったからな!
聞いてないなんて言っても、遅いからな!」
子供のケンカみたいにだんだん言葉のテンションが上がっていく彼を、
珍しいものでも見るように見つめていると、
やっと少し落ち着いたのか、意味なく咳払いをして続けた。
「……だから、余計な心配すんな。ちょっとは、信じろ」
逸らすまいと力をこめているような彼の瞳に、びっくりした顔のままの私が映っている。
「じゃあ、なんだか優しかったのは?」
「……それは、自覚ない。意識してない。……第一、おまえに優しくして何が悪いんだ?」
自分の言った言葉にまた照れくさくなったのか、とうとう怒ったように目を逸らしてしまう。
「……バカ」
私はそうつぶやくと、彼の胸に額をつけた。
ああそうだよ、とヤケ気味につぶやく彼に笑うふりをして、こぼれそうな涙をこらえた。
黙って背中にまわされた腕に、少しづつ力がこもる。
――大丈夫。私も彼も、やっとここまで来られたから。
そして、きっと、『これから』を作っていけるから。
――まったく、しょうがないわね――そう言って笑う声が、聞こえたような気がした――。
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