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「普通」って何だろう。
人間は1人で生きていけない。
もしもたった1人で、何もないところにいたら、どうやれば生きていける?
家を建てる、火を熾す、水を汲む。
地面を耕す、野菜を作る、獣や魚を捕ってくる。
物を食べて、水分を摂って、夜眠って朝起きる。
そのために必要な物は? どこで手に入れる? 誰が作る?
最初の人類がアダムとイヴなら、始めから人は1人ではなかった。
男がいて女がいて、子孫を増やし、社会を作る。
それが当たり前になって、もうどのくらいの時間が経つのだろう。
人は人と関わる。それぞれの社会の歯車の中で、回り続ける。いつか死ぬ、その瞬間まで。
いや、たとえ死んでも1人にはならないのかも知れない。
誰かが泣く。誰かが悼む。誰かが自分の身体を葬り、自分の記憶を残す。
手を伸ばせばそこに、必ず誰かの手がある。その手を取ろうとも、振り払おうとも。
環の中で回り続けるためには、何が必要だろう。
「もしかしたら自分は、どこかおかしいのかも知れない」
一度ならずそう思ったことはないだろうか。
「自分」と「周りの普通の人」とが違うと思ったことはないだろうか。
じゃあ、「普通」って何だ。
普通の人ってどんな人だ。普通にすることってどんなことだ。普通の人生って、何だ。
誰かが建てた家に住み、誰かが繋げたライフラインで命を繋ぎ、誰かが作った社会の一部で人の営みを回し続ける。
誰かを愛して、誰かを憎んで、触れた手を掴んで、離して、時間は流れる。
どんな自分なら、他人は必要としてくれる? どんな自分なら、「普通」でいられる?
そのボーダーラインはどこだ。
そのラインを超えたら、どうなる。
普通じゃない人になるというのは、どういうこと?
心に欠陥があれば、身体に欠陥があれば、出来損ないの不良品なのか。普通じゃない生き物なのか。
「頼むから、普通になって」
「あんたはロクでなしですらない、人でなしだ」
子供の頃に聞いた誰かのそんな言葉が、今も残る。
誰を愛しても、愛されても、その手を掴んで離さずにいても。
怖い。怖い。怖い。
何が怖いのか。
普通でなくなることが? 他人と違うことが? 人と繋がれないことがそんなに怖いのか。
普通じゃなければ、人の環に入れない。
ラインを超えたら、その先は崖かも知れない。
堕ちる。堕ちる。堕ちる。
ならば、自分と同じ人間がいればいいのか?
確かに人は、そこに愛情を見る。
自分との共通点、相似性、同じ言葉、同じ時間、同じ意味。
何より家族を求め、自分の遺伝子に繋がるものを求めるのはその本能だ。
しかしどんなに愛する人でも、同じ血の流れの中に生きていても、自分と同じ人間なわけがない。
違う遺伝子の人、自分を特別に慕ってくれていない人のほうが、もっとたくさんいる。もっとたくさん関わる。
その中で「普通」でいること、ラインをはみ出さないことが、どうしてそんなに必要なのか。
そしてそれは、どんな形をしているのか。どんな色、どんな音、どんな匂い。
「普通」なんて、どこにもない。
明確な形も色も音もない。だいたいこのくらい、という曖昧なラインを、どうしてこんなに恐れるのか。
そのラインの内側で笑う。泣く。叫ぶ。誰かの手を求める。
それを人は、「普通」と呼ぶのだろう。
ラインの中にいる人に安心し、外側にいると判断した人を恐れる。
もちろん、多くの人が生まれて死んでいった中で作られた「法律」というラインは守る義務がある。
それさえも壊したら、人の環も壊れる。
大きな円の内側の、自分の手で触れられる範囲のラインは、誰が引く。
そこにあるのは「普通」だろうか。それとも「異常」だろうか。
それを決めるのは、誰。
自分。
それが、きっと、「普通」。