ホテルのロビーに降りて行くと、ソファで新聞を読む蓮が目に入った。
思い切り膝を開いて、足を投げ出して座っている。
その姿勢と顔のギャップに、すれ違う人が首をひねるのを見てあたしは苦笑した。
あたしの視線に気付いた蓮が、バサリと新聞を放り出す。
「――遅ぇよ」
「ごめん」
「チェックアウトぎりぎり。俺はもう清算済んだからな」
「はいはい」
蓮の言葉遣いに、足を止めて眉を寄せる人もいる。
――やっぱり、もうちょっと人のいない時間に出てくれば良かったかしら。
シングルルームの清算を終えて戻って来ると、2人分のバッグを抱えた蓮が待っていた。
「ほら、列車の時間までにお好み焼き食うんだろ? 間に合わねぇぞ」
はたから見たらカップルの旅行に――見えるんだろうか。
「あとね、たこ焼き」
「はぁ? だっておまえ、12時半には新幹線乗るぞ? 中で弁当食うとか言ってなかったか」
「あ、やっぱ無理?」
「無理。持ち帰りにして、おやつに食え」
「そうするー」
「ったく、そんな食うのになんで太らねぇんだか……」
言いかけた蓮が、固まった。
口を半開きにして見つめる先には、小柄な女の子。
17か18か、多分20歳前だろうな。
2、3歳上の――つまりは、蓮と同じ年くらいの男の子と腕を組んで歩いている。
「……知り合い?」
「え、あ、ああ、まあな」
怪しい。
「何よ、彼女?」
カマをかけてみる。もしそうだったら、結構笑える展開なんだけど。
「……多分」
「は?」
「いや、多分、そうだったんじゃないかと……とりあえずこの間までは」
「何よ。どうなってんの?」
「さあ。俺も良く分かんねぇ。んでもまあ、オトコできたんならいいや」
「いいやって……何それ。付き合ってたんでしょ?」
「だから、なんつうか……微妙な……あんまりはっきりとは……」
「なんなのよ! 彼女が好きなの? 嫌いなの?」
「いやそりゃ、いいかなと思ったからそういう関係に」
しまったという顔をして、口を押さえる。
ほぉ、そういう関係、ですか。
「……で、まあいいや、になっちゃうわけ?」
「うーん、結局そんなもんっつうか……」
「こっちのコよね?」
「……だな」
「あんた、こっち来て1週間くらいだったわよね」
「……う……」
「で、いきなり、そういう関係なの」
「……だから……その程度っつうか……互いに……」
「サイッテー」
「いや、だからさ、相手によるっつったらアレだけど、向こうもそうだからああなってるんだし」
「じゃ、蓮くんとしては却ってさっぱりしたと」
「……ま、そうとも言うか……」
「やっぱりサイテー」
そう言うとあたしは、自分のバッグをひったくるようにして歩き出した。
なんだか腹立たしいような、しょうがないなぁ、と笑い出したいような
――良く分からない感情がグルグルしてる。
「なあ、おい、待てって。別に誰にでもそうってわけじゃねぇよ。今回はたまたま……」
「今回!?」
「あ、いや、そんなにモテないし。……あー、だから、ごめんって、もうそんな風にしないから」
「……なんで謝るのよ」
「……じゃ、なんで怒るんだよ」
一瞬、視線が絡む。
あたしは、怒ったような笑いを堪えてるような顔の蓮をひっぱたいて、
そのまま走り出したい気持ちを必死に抑えた。
ここから一人で帰るわけにはいかない。
由利江のことも、まだなんの手がかりも掴めていないんだ。
――あたしが、感情的になるのは、おかしいんだ。
「お好み焼き、蓮くんの奢りね」
「あ? なんでそうなるよ。おい、コラ」
振り向かずに歩くあたしに、蓮の声が追いかけてくる。
どこか安心したような声――それは、あたしも同じ気持ちだった。
「おお!?」
バスルームで着替えを済ませて出てきたあたしを見るなり、蓮が奇声を上げた。
「何よ、その反応」
「いや、ほれ、なんつうんだっけ、こういうの」
今日は会社の同僚の結婚式だ。
一張羅のワンピースを着て、長い髪をアップに結い上げて。
いつもシンプルなものしか着けないアクセサリーも、少し華やかなものにしてみた。
大阪から戻って半月。
平日はどうしても会社があるし、なかなか事の真相には近付けないでいる。
「マゴにも衣装?」
お約束なツッコミを入れて笑っている蓮を一睨みして、ご祝儀袋の用意をする。
――相変わらず手がかりは掴めないし、実家の母は寝込んでしまっているし、
本当は結婚式なんて気分じゃないんだけど、
これからも付き合いのある同僚ともなると出ないわけにいかない。
いっそのこと、寿退社してくれてたら良かったのに。
薄いブルーのワンピースを着たあたしをベッドに腰掛けて見上げていた蓮が、思い出したように訊く。
「あいつも来んの?」
「……誰のこと?」
「マサユキサン。元彼の」
「……そりゃ来るでしょうよ」
「ふーん。どうなってんの? その後」
「うるさいわね。ほっといてよ」
どうもなってない。
由利江が行方不明になっていることは、会社でも知られ始めていた。
途端に腫れ物に触るように遠ざかる人と、いきなり親しげに同情を寄せて来る人とに、
あたしの周りは2分割されていった。
で、彼は前者だったらしい。
帰りに待ち伏せることも、ごちゃごちゃ言い訳してくることも、なくなった。
そんなもん、結局。
蓮のこと言えないわね、あたしも。
それが寂しいような、却ってさっぱりしたような。もう、どうでもいいんだろう、きっと。
「ま、襲われそうになったら連絡しろよ。助けに行ってやるから」
「はいはい、ありがと」
蓮の軽口にひらひらと手を振って、あたしは靴を履いた。
引き出物の入った袋を提げて、会場を出る。
新郎新婦とそのご両親に型どおりの挨拶をしたあたしは、
用事があるからと2次会の誘いを断ってロビーを横切った。
中庭に面したガラス窓のそばに、昌之が立っていた。
あたしに気付くと、タバコに火を点けようとしていた手を止める。
そのしぐさが、好きだった。
今、気付いた。
待ち合わせにいつも遅れて行ったのは、1人であたしを待つ彼を見たかったから。
好きだったんだ、きっと。
そして、もう、終わってしまっていることも、あたしは分かっていたんだ。
黙ってあたしを見つめる彼の目を、真っ直ぐに見つめ返す。
片手にライターを持ったまま動かない彼に、ゆっくりと笑いかける。
その横を通り過ぎる瞬間、彼の唇が、とうこ、と動いた気がした。
結婚式帰りの華やかな人達の中に、1人浮いている人を見つけた。
ジーンズにTシャツ姿の蓮だ。
一応ノーブラなのをごまかすためか、綿のベストを着てくれている。
「よぉ」
「うん」
「メシ、うまかった?」
「……もうちょっとましなこと訊けないの」
そう言うと、引き出物の袋を押し付ける。
「またかよおまえは……何だこれ、重てーなぁ」
「たぶん食器かな。大皿1枚、小皿5枚セットってとこでしょ」
「うへ」
顔をしかめる蓮の向こうに、会場を飛び出して来た昌之が見えた。
「――瞳子!」
叫ぶ声に蓮が振り返る。
昌之の瞳が、驚きに見開かれた。
「……え……? ……瞳……子?」
あたしは黙って、蓮の腕に軽く手を触れた。
昌之に向かってニヤリと笑った蓮が、あたしの肩を抱くようにして歩き出す。
「やり過ぎ」
「そうかぁ?」
肩越しに振り返ると、口をポカンと開けたままの彼が立ち尽くしていた。
いたずらが成功した子供のように、あたし達は笑い出す。
ひとしきり笑ったあとで、蓮が呟いた。
「……目ぇ覚めたか」
「――うん」
覚めたくなかったのかも知れない。
雨の降る日曜日の朝のように、いつまでもまどろんでいたかったのかも知れない。
けれどあたしは、夢の終わりを知っていた。
「――んで、こんな時にあれなんだけどさ」
「何よ」
「明日の夜、空いてる?」
「……何? 空いてるけど」
「この前話した俺の幼馴染――哲史ってんだけど、あいつの家が分かったから」
幼馴染。――由利江と同じに、行方が分からなくなっている、蓮と同じ病院で産まれた子。
あたしは、真顔で見つめる蓮に、黙って頷いた。
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