大阪へ向かう新幹線の中では、2人ともほとんど話をしなかった。
蓮はフリなのか本当に寝てるのか、ずっと腕組みをして目を閉じている。
あたしは窓ぎわの席でぼんやりと外の景色を見たり、半分以上頭に内容が入ってこないまま
文庫本のページをめくったりしていた。
次は新大阪、というアナウンスが入る。ふと、蓮が目を開けた。
眠ってなんかいなかったことが分かる焦点のはっきりした瞳であたしを見ると、安心させるように笑う。
「次か」
「そうだね」
あたしは本をバッグにしまい、空になったジュースの缶を手元に引き寄せた。
どんよりと曇った空が広がっている。もう梅雨は明けたはずなのに。
「着くまでヒマだな……じゃあ、オオサカ、の、か」
「は?」
「は、じゃねぇよ。か」
今まで黙ってたくせに、いきなり何を言い出すのかと思えば……。
「か……カラス」
答えるあたしもあたしだけどね。
「芸がねぇなぁ。す……す……スルメイカ」
「何それ。か……か? ……カッパ」
「小学生並み。……うーん……ぱ……パンダイルカ」
「……ケンカ売ってんの」
「いや? か、だよ、か」
にやにや笑っている。……どっちが小学生よ。
「……カエル」
「おまえほんとに大人か?」
「あんたに言われたくないわ」
「……る、ねぇ……る……」
蓮が首を傾げているうちに、列車は新大阪駅のホームに滑り込んだ。
「うわ、あっちー」
冷房の効いた車内から出ると、途端にむわっとした熱気に包まれた。
なんだか、東京よりも空気が濃いような気がする。
「キャラの濃い人間が多いせいかしら」
「あ? 何が」
「こっちの話」
あたしは蓮にボストンバッグを押し付けた。
一応、一晩泊まるつもりでビジネスホテルに部屋を取った。
小型のボストンが一杯になったあたしに比べて、蓮はナップザックひとつで身軽に歩いている。
「おい、何だこの荷物」
「しりとりで負けたバツ」
「俺がいつ負けたんだよ! 『ん』なんてついてないぞ!」
「答えられなきゃ負けでしょ」
「……このヤロ……待てよ、る、だな、る……る……」
考え込む蓮を置いて、あたしは改札に向かって歩き出した。
この明るさが、殊更作られたものであったとしても。
――今は、笑っていたかったんだと思う。
築20年か、30年はいってるかも知れない。
木造2階建ての古い家の前に、あたし達は立っていた。
「……ここ?」
「そう。ボロイだろ」
「いえ、まあ、――趣のあるお宅よね」
「ものは言いよう。イヤだね、大人って。別に、うちが好きで買ったわけじゃないからいいよ。
親父の会社で借りてる社宅。どうせ、2、3年したら東京の本社に戻るはずだし」
「あ、そうなんだ」
人気のない窓を見上げた蓮が、一応、という感じでチャイムを押す。
――返事はなし。
「留守ですか、だな」
「うん。留守みたいね」
「俺の勝ち?」
「何のこと?」
「ル、スデス、カ、てね」
呆れて見つめ返すあたしに、蓮は二ヤリと笑って鍵を開けた。
何が見つかると思っていたのか分からないし、どこをどう探したらいいのかも分からなかった。
とりあえずお茶を出してもらって、居間のソファに座って待つ。
蓮は2階の自分の部屋に上がったきりだった。
所在なく部屋の中を見渡す。
前の住人が煙草を吸っていたのか、少しヤ二で汚れた壁。
緑色のカーペット。古ぼけた応接セット。サイドボード。
テレビやFAX付き電話や隅に置かれたパソコンなど、
電器製品だけが新しく、その存在を主張しているかのように見えた。
板張りの台所との引き戸は取り払われて、ひと続きになっている。
主のいない他人の家の居心地の悪さと、実家に帰って来ているような懐かしさの中にあたしはいた。
――やがて、開け放したドアから、階段を降りる蓮の足音が聞こえた。
今度はこっちがボストンバッグを手にしている。
「何?」
「いや、着られそうなもんとか、身の回りのものを……」
もごもごと呟くと、あたしと対角の1人がけのソファに腰を下ろした。
手に、何か青いものを持っている。
「――それは?」
「あの日の朝――おまえに会って、そっちに行くことになった日、親父の部屋で見つけた」
少し紫がかった青い石の付いた、小ぶりのブローチだった。
「……お母さんの?」
「だと思う。親父のだったらイヤだし。……俺は、見覚えないんだけど……」
蓮はそう言うと、自分の襟元に手を差し入れて、革紐のペンダントを引っ張り出した。
そんなもの付けてたなんて、全然知らなかった。
ペンダントトップは、ブローチと同じ色味の青い石。
「……同じだね」
「やっぱり?」
ひとつため息をつくと、二つの石を並べてテーブルに置いた。
大きさも、形も、そっくりだ。
「……形見、なんじゃないの? お母さんの」
「お袋が死んだって、いつ言った?」
「え、そうじゃないの?」
「知らねぇ」
「知らないって……」
「8歳だった俺が家に帰った時には、いなかった。親父は、何も話してくれない」
「――何も?」
「何も。事情があっていなくなった、とだけ。
で、このペンダントはいつも身につけてるように言われた。お守りだ、ってさ」
お守り。ますます『形見』っぽいんだけど。
「前にしつこく訊いたこともあったんだけど……話してくれなかった。
おまえは何も心配しなくていい、って、そう言うだけで。だから、このブローチはお袋のなのか、
どうして俺がペンダントを持ってる必要があるのか、あの日に訊こうと思ってた」
「……何かありそうね」
「……だよな」
とは言っても、今は尚更訊き出しにくい。この姿だし。
「お袋がいなくなって、じいさんのやってた病院にも行かなくなって――いつの間にか病院は閉められてたし」
「じゃあ、例のことも調べられないじゃない」
「そう。どうして俺を含めて3人が同じ年に同じ病院で産まれてるのか。最後の1人はどうなのか。
――どういう共通点があるのか、分からない。じいさんは、もう死んだって聞いてる」
あたしは力が抜けて、ソファの背もたれに寄りかかった。
何のためにここまで来たんだろう。病院に行けば、蓮のおじいさんに会えれば、何か分かるかと思ったのに。
――由利江。あの子はどうしてるんだろう。他の2人と一緒なんだろうか。
蓮は二つの石を見つめたまま、黙って唇を噛んでいた。
次に口を開いた蓮の言葉は、梅雨の明けたこの部屋に、湿気を含んだ冷たい空気を呼び込んだ。
「あの日――俺は親父に訊き出すつもりでこのペンダントを外してた。
そのまま顔を洗いに降りて、おまえのところに行くことになった――
お守りが効いたのか、効かなかったのか、どっちなんだろうな」
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