3. Pervasion 〜侵食〜

また月曜日がやってきた。
つまり、アツミに出会ってから1週間たったということ。
僕は今までとなんら変わりなく、バイトと部屋の往復の日々を過ごし、
――その間も、アツミは僕のところに現れた。
まさに『現れる』のだ。
バイトから帰ると部屋にいたり、風呂から上がると当たり前のようにテレビを見ていたりする。
そして、また勝手に消える。
僕はもう、どうしてそんなことができるのか、本当に僕の前にしか存在しないのか、
確かめる気も失せていた。
来たいなら来ればいいさ。
淳美に対するのと同じように、どうでもいいと思い始めていた。
同じ部屋にいて何をするかと言えば、単純に話をするだけだ。
聞き出せたのは、アツミが現れた時のこと。
彼女に言わせれば、気がついたら僕の部屋の前にいて、部屋を出る淳美を見送ったらしい。
淳美の姿を見た時に、自分はこの人の一部だと分かったと言うのだ。
僕との付き合いで悩んでいる淳美の代わりに、自分が僕のそばにいるべきだと分かったと。
本気で病院行きを薦めたほうがいいのかも知れないが、毎日話を聞いているうちに
どうでもよくなってきた。
とにかく、アツミはよくしゃべる。
僕が、そんなのはおかしいとか、在り得ないと思っても、アツミの言ってることに説得されてしまう。
ああもう、そう思うんなら好きにしろよ、という結論になってきた。

「ねえ、もうちょっとマシなもの食べたら?」
今日は休みの日だから、適当にコンビニで買ってきた昼食をとっていると、アツミの声がした。
また、いつの間にか部屋の中にいる。
バイトがある時は、一応食堂で定食などを食べるようにしているが、最近は食べるのもどうでもいい気分だった。
「なによこれぇ、菓子パン一個じゃないの。これだけで済ます気? どうせ朝も食べてないんでしょ?」
僕の食事の心配をするのは淳美と一緒だが、こいつは料理はしない。
「いいんだよ、別になんでも」
「良くないでしょー? 若いオトコノコがそれじゃ、生きて行けないわよ」
「――いいよ、別に」
「……そう言うと思ったけどね」
ため息をひとつついて、僕を見上げるアツミの瞳が、ひどく悲しそうに見えたのは気のせいだろうか。
「……なんで、お前がそんな顔するんだよ」
「――なんでも、ないわ」
まとわりついた翳りを振り払うように、軽く頭を振る。
「心配してくれるわけ?」
そう聞いた僕のほうを、アツミは見なかった。
俯いたまま、考え込むように膝を抱えている。
長い髪に隠れてはいるけれど、その横顔に淳美が重なる。
僕が自嘲気味なセリフを吐くと、決まってこんな顔をしていた。
それから、何か言おうとして考え込む。
結局何も言えずに、無理に明るい顔をして、関係ない話を始めるんだ。
そんな淳美が僕は愛しくて――憎らしかった。
当たり前の幸せを手にして、愛されるのが当然の淳美が、分かったような顔をして僕を労わろうとする。
それが僕を慰め、同時に傷つけていることを分かっていたんだろうか。
「なぁ、お前淳美の代わりだって言ってたよな」
僕の声の調子が変わったことに驚いたように、アツミが顔を上げる。
僕はその白く小さな顔に笑いかけた。
――今までで一番最低の笑い方で。

腕をつかんで引き寄せるとアツミは僕の腕の中に倒れこんできた。
そのまま床に横たえ、両手首を押さえつける。
アツミは抗わなかった。唇を震わせながら、僕を見上げるだけだ。
「――何をする気か、分かるよな?」
自分がこんなセリフを口にしていることに吐き気がした。
やめろ、引き返せ――そんな声が頭に響く。
それとは裏腹に、アツミの華奢な体をめちゃめちゃに壊したいとも思っていた。
お前に何が分かる。俺の中を踏み荒らして、勝手に哀れむな。
叫びが体の奥からこみ上げてきて、喉元で熱を持つ。
――叫べば、いい。自分を突き動かす衝動のままに、この細い体を壊せばいい。
それでも、僕は動けなかった。
唇を合わせようと顔を寄せて、アツミの瞳に見据えられる。
知っている。この瞳の色を。
僕の隣で、小さく笑う瞳。投げやりな言葉に、困ったように黙り込む瞳。
もう、僕のことは忘れた今のほうが、きっと明るい色をしている、瞳。
――淳美。
叫びはそのまま、もう呼ぶことのない名前になる。
アツミの瞳がかすかに細められた気がした。見る間に、その中に涙が溜まっていく。
僕はアツミの手を離し、起き上がった。細い手首に、うっすらと赤い痕が残っている。
「――帰ってくれ」
それだけ言うと、僕は鍵もかけずに部屋を出た。
どこへ、帰るのだろう。
どこから、来たのだろう。
僕を苛む、あの小さな体は。

初めは、風邪だと思った。
体がだるく、力が入らない感じだった。
朝起きるのが、どうしようもなくつらい。
どうにかバイトは続けていたが、欠勤も増えてきて、クビになるのも時間の問題だった。
医者に行く気もしないし、とにかく動きたくない。
熱もなければ特に痛むところもないのに、自分は病気だという感覚があった。
うっかりすると一日中眠り続けてしまう。
仕事に行った日でも、部屋に帰るとそのまま倒れるように眠ってしまっていた。
決まって、夢を見る。
泣き出す寸前のような、あの瞳だ。
僕を責めている。哀れんでいる。蔑んでいる。嘲笑っている。――想っている、瞳。
夢の中で、僕は叫んでいた。
呼んでいたのは、淳美か、それとも――アツミか。

いつの間にか、物を食べても味がしなくなった。
ただ、目が覚めたときには、このままだと本当に生きていられなくなると思って、何か口にする。
――どうして、生きているんだろう。生きようとするんだろう。
答えが出る前に、また眠りの中に引き摺り込まれていく。
教えてくれ、アツミ。
その瞳で笑って、答えを出してくれ。
――アツミはあの日から、姿を見せなくなっていた。



メニューページへ
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送